夏的香港@2018/7/18wed 21:30のPA

ずっと、香港(と書くがここではHKDLの意味)の夏が苦手だった。

初めてHKDLに行ったのはまだ私が20代半ばのある夏のことだった。
初めて体験するHKDLに終始夢中になりながらも、同じように初めて体験する香港の暑さがかなりしんどかったことを思い出す。
暑さも厳しいんだけど、個人的には湿度の方がきつかったかなぁ。湿気の濃度が濃すぎて息ができないんだよね。
クラクラしながら初めてのHKDLを走り回ってた。

そんなこんなで夏の香港にはもう懲りて、もう二度と夏場には足を踏み入れまいと誓ったのだけど、そんなこともほどよく忘れた何年か後、また夏の香港行っちゃった。それでまた後悔した笑
その頃わたしはもう30過ぎてて、20代でできた無理もできなくて夏の香港で伸びてた。
ほんっっと夏のHKDLって暑すぎる。あんなの何にもできないよ。息するので精一杯。日陰もないし。。
なのにふと周りの香港人を見ると、汗ひとつかいてない。あれほんと不思議だった。

そんで今年ね。2018年。
日本、猛暑、酷暑、炎暑!異常気象? にしたって暑すぎる!! 
でもなんか香港の夏を思い出すんだよなぁ。
息ができないような無我夢中の気持ち。初めて行った香港の夏で若かった私。ひっくるめて思い出す。
この気持ち、この気候、まさに香港。なんだよなぁ・・・。

まぁ単純に思考の逃避行って話なんですけど。
日本がこんなに暑かったら、別に夏の香港を忌諱する必要もないので、そろそろHKDL行きたいです。それが夏でもいいので。っていう話でした。
おしまい。

ミラコスタ パスタランチ終わんのかい@2018/7/6fri 20:00のPA

ベッラヴィスタラウンジのミラコスタパスタランチが終わるらしい・・・
まじでえええええ 知らなかった・・・ あああ、まじかぁ。めちゃくちゃ落ち込む。。。

パスタランチ、すごく好きなメニューだった。
私、今時よく使われがちな「コスパ」という言葉を日常的に多用するの、どうなんだろうって常々思ってるんだけど(長くなるからここでは端折るけど)、でも本当にこれ、TDRの中で値段の割に一番贅沢な気分になれて最高だったと思う。
一言で言ってコスパ最高だった。(結局言うんかい!)

「値段の割に贅沢」
うん。とどのつまり人の世って、どうコスパを追求したってやっぱり高いものはいいし、安いものはそれなりなんだよね。物の価値に対して価格ってのはどうしても比例する。
そんな中パスタランチは、
・TDSのチケット代を払わないで入店できて
・時間によっては着席のまま(これが私がオチェやシルクよりもベッラが好きな理由)ハーバーショーが見れて(飲食代にショー料金が含まれていると考えたら馬鹿みたいな値段)
・ショーがあってもなくても、ハーバーの雰囲気を存分に感じられて(飲食代に風景料金が含まれていると考えたらおなじく阿保みたいな値段)
・メインはパスタ(小麦)だけど、レストランのテーマ的に選べる前菜の中には必ず鮮魚系(海鮮)がひとつはあって、それがメインディッシュ代りになるのでボリューム的にも満足できて
・デザートは数種または二種の盛り合わせのことが多いので色々食べたいわたしには満足度が高かった
あー、パスタランチほんと好きだからめっちゃ語ったわ・・・
あーあ、ほんとに終わっちゃうの? やだなぁ。悲しいわ。終わらないで・・・。

でもとどのつまり、この私の発言にパスタランチが終わる理由は明記してあって、いい体験をしたければそれなりのお金を払わなくちゃいけない。パスタランチは安すぎた。ほんとそう思う。だから仕方ないよね。
11/30までに何回か通えたらいいなぁ。。。

そういえば書いていて思い出した。
昔、まだ私が真面目な社会人だった頃、どうしてもパスタランチが食べてみたくって、わざわざそのために有給休暇をとったことがあったけなぁ。
その頃の私はまだ、有給休暇を遊びのために取るなんてどうなの、っていう価値観だったから(有給休暇は通院や冠婚葬祭のためのものっていう真面目な時代がこんな私にもあったw)、憧れのパスタランチを食べながらも変な気持ちだったなぁ。懐かしいなぁ。

あーあ、十数年経って私もついにこんな不真面目な大人になっちゃったなぁ・・・。
ということでパスタランチに捧げる日記でした。私の憧れ、私の青春、私の思い出。ありがとう、多分忘れないよ、ミラコスタパスタランチ。

嫁post.jp

育児疲れた。

息も詰まちゃったし、向いてないんだかなんだかしんどくて仕方ない。
こういうことを夫に愚痴ると、わたしの辛さの根幹を何も理解してないなっていう反応が返ってくるので、さらにしんどさが増してしまうのであった。だからもう言うのやめてここに書くんだ。

子供と完全に分離できる時間が1日でいいから欲しい。
ちなみに先月の子供のとの分離時間はトータル12時間(半日)。先々月はトータル0時間だった。
出産から数えると丸二年以上、丸一日分離したことがない。ずっといっしょ。おかあさんといっしょ。しんどい。
HKDL1日旅行でいいから行きたい。ひとりで行きたい。

2018/7/4wed 22:00のPA

もうTwitterは見てないので(名目上)、私の狭小観測範囲からの視点なんですけど、ここ最近私のInstagramのオススメ欄上で気になる動きがありまして。
Dオタ舞浜勢の間で、お気に入りのキャストを誰かひとり見つけて、彼らとのツーショ写真またはワンショ写真を撮影してSNSにアップしたり、彼らがその日どこでどのように勤務しているかをチェックしたり、要は「お気に入りのキャストがいることをアピール」するのが流行っている気配を感じました。

まぁ、10年以上前から、通いのレストランのキャストさんに対して通っているうちに顔見知りになってそこに行くたびに話かけたり、「あ、今日居たのね!」みたいのは、私もよく聞きます。ホテルオタもお気に入りのキャストを作ってそこが心地いいから通う、みたいのは昔っからありますしね。
でもなんか今回のインスタで観測したのはダンサーに対するダンオタ化というか、キャストに対するキャストオタ化が一般的になった流れを感じました。

ちょっとわたしにはこれ自体理解不能なのでなんともコメントもしずらいのだけど、キャラオタのポーズ指定に見られる「自分だけの特別感・優越感」が、変な方向に波及しているのかな・・・とも感じる。
結局、オタがひとりインパしたところで、自分が石油王でも無い限り他のオタと比べてそう変わった何かを手に入れることは不可能な訳です。写真だって体験だって、まぁだいたいは一律のものしかアウトプットできないですよね。
そこで出てきた、「自分だけの知る秘密の優越感アピ」として、いきなりここでピックアップされ使われ出したのかなぁ、という印象です。

ほんと、キャストも大変だよなぁ・・・。
あまりに不可解なので書き残しました。ちょっと引き続きインスタでチェックしておきます。

十数年ぶりにフリーグリをした@2018/7/3tue 22:00のPA

このブログ、1日に5アクセスくらいしかないですw
主に読者は私(PC)と、私(携帯)。あとは夫と、よく知る友人の誰かだと思いますね。今日も訪問ありがとうございます!

さて、という訳でこれまでもこれからも身内のノリで書くんですが、みなさんご存知の通り私はフリーグリをしません。
フリーグリをしない理由。とにかく、あの空気感が苦手! ジリジリとした緊張感。待っている間も、待たれている間も、1秒も息ができない。もう、今書いてて考えただけでムズムズしますw 無理w
なので、私が舞浜共通を買ったのは2005年のことですが、その年と翌年あたりに何回かフリーグリを経験したあとはきっぱりフリーは卒業しました。
そもそも、私が海外厨になっちゃった理由の四本柱のひとつが、整列グリしかしたくない、でした。ほんとフリーグリ苦手です。はい。

が。がが! そうこうしているうちに、我が家に子供がやってきた!
そしたら、フリーグリが嫌だとか言ってられなくなったんですよね(汗) やっぱりかわいいキャラクターと可愛い自分の子供の写真を、一枚でも多く残してあげたいので。
仕方ないので、しぶしぶ久しぶりにフリーグリ参加しました。そしたらキャラがみんな優しくて、思いの外楽しかったです笑

TDSでクラリスと。一番人垣が浅いキャラを狙って行きました。

TDLでスージーとパーラと。
私は別にペアとか気にしてなかったんですが、パーラがスージーをわざわざ呼んできてくれて、めちゃくちゃ感動しました。ふたりとも優しいなぁ。

今日の話はオチがない! 以上、十数年ぶりのフリーグリ頑張ったよ、楽しかったよ、という話でした。おしまい。

日本料理レストラン 花 Hana の閉店で感想

LINK: 日本料理レストラン 花 Hana の閉店で妄想 – 想像国際空港
↑さっき書いたこれの続き。ディズニーアンバサダーホテル、レストラン花の閉店で感想をつらつらと。

LINK: ディズニーアンバサダーホテルの日本料理レストラン「花 Hana」2019年1月6日をもって営業終了 | dpost.jp

●ミリアルリゾートホテルズの不退転の決意を感じた
まず、花が閉店すると聞いて私はとても驚いた。とっさに、新しいレストランにリニューアルするのかと思ったら、そうではなくて「小さなお子さまを連れたご家族向けのスペースを新設」するって。それを聞いて二度びっくり。
あの規模の、しかもディズニーホテルズ唯一の和食レストランをクローズするということ。一度閉めて、やっぱりゲスト数に対して飲食が足りなかった、レストランのままにしておけば良かった、和食必要だった!・・・なんて後戻りはできない訳で。
ミリアルの強い強い意志を感じる。しかも、ここでキッズスペース(略)にするなんて。なんか大きな勝算があるんだよなぁ。早くそれを知りたい。

●ファミリーエンターテイメントのはずなのに意外に子連れに厳しいTDR
これはここじゃなくて、別の記事でまとめようと思っていたのだけど。花閉店のニュースが飛び込んできて、ちょうど内容的に絡みそうだったから書く。

一介のDオタ(海外厨だけど・・)だった私は、自分の子供を持って初めて、舞浜に対して思わぬ感想を抱いてしまったのね。
それは「TDRで子供と遊ぶのは意外に全てのハードルが高い!」という事実。
ちなみにここで「子供」というのは、乳幼児から就学前くらいの子をイメージしてます。(就学してしまえばもう大人と同様にパークを遊びつくせる気がします。実際そうじゃなかったらすみません。私はまだ経験的に乳幼児しか知らないので)

TDRの無理ゲーは、なんと言っても日本の気候。夏くそ暑くて、冬くそ寒い。そんなことわかりきってたけど、乳幼児抱えてたらもうどうしようもない。シーだったらマメラグがあるけど、まずそこまでたどり着く前に力尽きる。
乗れるアトラクも限られる。もちろん自分用のアトラクなんて鼻から無理。じゃあちょっとキャラクターに会おうかと思っても、スタンバイ**分待ち。並ぶ前に諦めるより他ない。
ショー見ようと思ったら抽選で外れて爆死。ランドでパレ見ようと思ったらオタも含めて1時間以上前から最前埋まっちゃって、乳児抱えてはそんなの待てず爆死。
アトラク無理、キャラグリ無理、ショーパレ無理で、じゃあ最終手段のパーク飯でもゆっくり食べようかと思っても、予約いれてなきゃどこも長蛇。腹ペコで泣き叫ぶ子供抱えて爆死。
爆死爆死爆死ー!!
結果、パークをお散歩してちょっとおやつ食べて帰る、というインパ解しか求められず・・・。
こりゃ当分パークは無理だ、という虚無感だけが心に残ってしまうのでした^^;

Dオタである私の周りには「近隣在住で年パス」という黄金コースの友人しかいないのだけど、結局のところ小さな子連れで正解を求めようとすると、「近隣在住で年パス=短時間で複数回のインパ」しか回答はない気がする。
だから、地方在住で年一回のインとかだとどうするんだろう。ほんと疑問。お金で解決するしかないからバケパインするにしても、これは相当しんどいと思うんだけど・・・。

そこに飛び込んできたアンバのキッズスペース(略)。
すごい。なんで2018年のいまここで、キッズスペース(略)なんだ!?って、おそらくはミリアルは気づいてしまったのでしょう。TDRには乳幼児〜就学前の子供の受け入れ先が意外にないってことに。
つまり、まだまだこれは始まりにすぎないってことだよね? 期待しちゃう。

●なんだかんだで状況を打破してきたミリアル
みんな程よく忘れかけているかもしれないけど、過去、ピンだのチャームだの食事券だので客寄せしていたディズニーホテルズが、きっぱりそれらと決別してから早何年?(忘れたし、今は調べる時間がないからぼやかしておく)
思い出すんだけど、配布ピンをヤフオクで売って食事代金に充てたりとか、配布ピンがなくなった瞬間に取ってた予約をキャンセルとか、又聞きだけどそれ系の話もよく聞きました。

物を配るのをやめて直後、実際の客足がどうなったのか私は知らない。だけど、2018年の今となってはどのレストランも週末などは予約が取りづらくてほぼ満席。結局ディズニーのブランドを前に、物で釣る必要なんてなかったのよね、というのは明白であります。
今回、花が閉店することで、もしかして一時的にはなんらかの影響があるかもしれない。でもそれは5年10年単位で見れば、全然大したことでもない。はず。きっと。
ミリアルにはその勝算があるのだと思う。

●レストラン花とアンバサダーホテルへの想い
2005年に初めてレストラン花に行った。その後も友人と何度も行ったし、家族との大事な思い出も花にはある。
だから、個人的に花に思い入れがないって訳でもないのだけど、どうしても私が洋食好きなこともあって、プライオリティとしては隣のエンパイアグリルに軍配が上がってしまっていた。アンバにランチ行くならエンパ、みたいな。

失礼な言い方だけど、世間一般的に見ても花に対する後回しの空気感みたいのはあったんじゃないかなぁ。。すごい失礼なこと言ってるのはわかってる。でも他よりは予約取りやすかったし、予約なしで入りやすかったのも事実。
そういうのが積もり積もってこれなのだとしたら、結局ファンなら最後まで全力で買い支えるしかないのだなぁという、なんというか「ひとつの結果」を目撃してしまった気分。うまく表現できないんだけど。すごく心がザワッとしたんだよね。私一人が手を抜いたらこうなるんだ、みたいな・・・。うまく書けない。

で。私としては、花がなくなって寂しくはなると思うけど、なんだか今はこのリリースへのワクワク感が止められない。
私はまだ、このたった一枚の紙しか読んでないから、一体ミリアルが何を考えているのか知る由もない。でも、アンバ、そしてディズニーホテルズ、何が始まってしまうんだろう!なにかが始まる!!楽しみで仕方ない!

まぁ、妥当な線としては、第四のホテルを最上位クラス、ミラコスタとランホをデラックスランクにして価格値上げ。完全に富裕層をターゲットにするんだと思う。
そんでアンバをファミリー層ターゲットのモデレートランクにする。そのために、もう一度強くファミリー向けコンセプトを打ち出す。ミニバー無くすだのしても、価格は据え置きだと思いますが・・・。(第四、ミラコ、ランホが値上がりで、結果としてアンバを安く見せるのかもしれない。)
さてさて。

日本料理レストラン 花 Hana の閉店で妄想

LINK: ディズニーアンバサダーホテルの日本料理レストラン「花 Hana」2019年1月6日をもって営業終了 | dpost.jp

すごくびっくりした。アンバの花が閉店だって!

個人的な花への想いはここでは後回しにするとして。
花って、入店してすぐの目視や体感の広さより、実際の広さがかなりあるんだよね。入店方向左手には鉄板焼きのスペース、右奥には個室のお座敷がある。
リリースには、花閉店後のスペースは「小さなお子さまを連れたご家族向けのスペースを新設」とあるけど、どう考えても花のスペースをそのまま全部使うとは考えにくい。使ったとして現花のスペースの半分くらいだと思うんだよなぁ。

現花のスペースをどう使うのか、個人的な妄想を書いてみた。
・チックタックダイナーを広げるのかも?
・チックタックの裏をちょっと削るか、もしくは移動するかして、エンパイアグリルのスペースを広げるのかも?
 →エンパを広げて隔離個室を増設?
 →マイアニバーサリーストーリーの枠数を増やせるなぁ
・飛び技だけど「小さなお子さまを連れたご家族向けのスペース」でキャラクターを出したら絶対面白い。
 →香港ディズニーランドホテルでやってるような、クラブフロア宿泊者対象のナイトタイムのキャラご挨拶とかあってもいいのかなぁと妄想した。部屋の様子が外から見えないような造りにすれば、キャラの移動導線自体はシェフミやマイアニ用に既に確保されているわけだし、登場させること自体は他のふたつのホテルに比べて断然容易だと思う。

続報が楽しみ!

↓続きを書きました
日本料理レストラン 花 Hana の閉店で感想

私とディズニーの6ヶ月(2018年上半期分)

いきなり年齢の話なんですが、私、今日現在の年齢が38歳。今度の誕生日に39歳になります。
ここ四、五年くらいで特に顕著なんですが、日時の体感速度が以前にも増して早く感じられて、頭抱えておりますよ。
だってつい10年前と比べても一ヶ月の速さが全然違うの!
20代前半で感じた半年の長さが、今だと3ヶ月とか、いやもっと言って2ヶ月くらいかもしれない。
とにかく、光の速さで毎日が過ぎ去って行くので本当に焦る。

今日なんて、友人がInstagram上で「今年ももう上半期が終わりだね〜」的なことを書いていて、それを読んだわたし、一瞬それがなんのことかわからなかったんですよね。
しばらく考えて、今日が6月30日で、今年が半分終わることにようやく気が付いた。。。
ウソでしょ・・・。だって、つい先々月くらいまだ1月だったよね^^;

残念ながら、この体感速度はもう引き延ばされることはない。私の人生の時間の分母は、あとはもうどんどん増えて行くだけだから。
大変だ。この調子じゃあっという間に墓場だあ!ということで、新しくブログのコマ(タグ)を作ることにした。

テンプレ// 私とディズニーの6ヶ月(20**年*半期分) My6monthsWithDisney
自分のディズニーライフ見直し一覧表。
日記とは別にディズニー特化のこういう表があるといいなと思ったので、半年毎更新予定。

*..*..*..*..*..*..*..*..*

続きを読む 私とディズニーの6ヶ月(2018年上半期分)

ハピエストサプライズに選ばれた話@2018/6/27wed 21:30のPA

昨日、子供と2人で東京ディズニーランドへ行ってきました。そしたらハピエストサプライズに選ばれてとてもびっくり。

実は今月、TDRへのインパが立て続けに続いていまして、TDLに2回と、TDSに2回、合計4回行きました。年パスだったらそう珍しくもないけど、ワンデーなのでそこそこの頻度。
そうしたらハピエストサプライズを受けているゲストを結構見かけまして。
まさに今、目の前で選出、というシチュエーションも何度も見かけたので、わ、羨ましい!えーいいな!という気持ちがありました。

私も聖人君子ではないので、ぶっちゃけもらえるならもらいたい笑
見かけちゃった以上、心のどこかに「私も・・」っていう思いを抱いてしまうのは、人間仕方ないと思うんですよね。それを無欲でいろ、っていうのは無理な話で。人間だもの。
そんなこんなで、こないだまでのインパはちょっとだけですけど、ハピエストサプライズという単語が頭の中にチラついておりました。

しかし昨日。実際選ばれた時は、私も本当に本当の無欲状態で、まさにサプライズ。
場面的には不意打ちというか、え、ここでまさかのハピエストサプライズなの!? というかなり意外なものでした。
残念ながら、今日このブログでその話を語るのはやめておきます。三年後くらいには語るかも。
選んでくれたおねえさんの優しさがとても嬉しくて、なんだかその優しさを、もう少し心の中であたためたくなったんですよね。
だから今日は貰った瞬間の話は書かないと決めました。

ちなみに私の子供は、まだハピエストサプライズがなにか、理屈もわかってないですが、不思議なもので貰ったメダルを誇らしげに眺めておりましたよ。
もしかして子供心になにか通ずるものがあったのかもしれない。良かったねぇ。

ここからは余談。
どうでもいいんですけど、ハピエストサプライズ、とてもいい企画とは思いつつも(まぁあんた貰ったしね、というのはここでは置いてね笑)、なかなかにヒューマンパワー頼みというか。
これ、現場のキャストは楽しいだろうけど、それよりも大変さや手間の方が大きいんじゃないか、なんてことをふと思いました。
ただでさえ人手不足でなんやかんやのキャスト界隈ですから、負担になってないといいなぁなんて。まぁ余計なお世話なんですけどね。
35周年に感動のストーリーを付加価値として付与したいという企画側OLCの気持ちは大変に理解するんですが、選出基準もなんだか曖昧だし、それがキャストの一存というのは現場側の負担にならないのか、若干不安になりました。
キャストさんも楽しんでいるならいいんだけどね。ゲート通った時にランダム選出か、抽選所で1日1回抽選とかでも良かったのかなぁ、なんて。
でもそれだと年パスが仕事終わりに毎日通っちゃうか・・・。(入園数増えてよさそうだけどw)
なかなか運営というのは難しいね。

東京ディズニーシーの失われた調和(それでも)@2018/6/27wed 21:00のPA

LINK: 本物の懐古厨@2018/6/26tue 01:00のPA – 想像国際空港
こんなことを書いた直後に、お前がそれを言うのかよって感じだけど・・・。

東京ディズニーシーが紡いできた完全な調和がなくなってしまったことが残念で仕方ない。
先々週、ポートディスカバリーを通りがかったら、シーライダーが出来上がったことでエリア一体の色味ががちゃがちゃになってて目を疑った。(なお、私はすでにシーライダー自体は2回乗っていて、アトラクション自体は結構好きです。悪しからず)
ちょうど差し込んだ陽の加減だったのかなぁ、シーライダーのカラーであるブルーとシルバーが、元々のPDのカラーであるターコイズとゴールドと半目しあっちゃって目も当てられない感じ。カラースクリプトもクソもなしという印象。
そういえば前回、前々回と、PDに行った時はあまり気にならなかったのだけど。なぜか今回だけは妙に目について悪い印象が私のなかに残り続けた。
こんなむちゃくちゃなカラーリングするくらいなら、別に海洋生物研究所だからって色を変える必要はなかったと思うんだけど。変なの。

アラビアンコーストも、キャラバンカルーセルのある王宮からシンドバッド方面に歩くに連れ下町になっていく、という設定が好きだった。
なお、これは正確はBGSではない。語られた記憶がないから。でも、そんなBGSは、語られなくてもおのずとゲストの中に芽生えて来るものだ。(自然発生的に物語は生まれていく。)
でもジャスミンのフライングカーペットができたことで、王宮から一番離れたところに王宮にあるべきものができちゃった。めちゃくちゃ。作った人何考えてるんだ。
変にジャスミン絡めてプリンセス狙いせずとも、シンドバッドのアトラクションでよかったのに。

まぁ言い出したらキリがなくて、ここ数年言いたい事は山ほど溜まってるんだけど。
それでも私は東京ディズニーシーが好きだから、今日も心の中のTDSを旅するように思い出す。記憶の中に残り続けてくれるなら、変わってしまってもまぁいいか。これからのTDSに期待だなって、そう自分を納得させているし、実際納得している。

でもどうしても消化できない、寂しくて仕方ない事がひとつだけあって。私の子供は、あの美しいTDS、全てのディズニーパークスの中で最も「調和」という言葉にふさわしいパークを知らずに生きていくんだなって。なんかもう悲しくて。
いつか子供が大きくなったら、昔ここはね、って、いっぱいTDSのこと話してあげたいけど、そんなこと話されても子供としては迷惑だよね。普通にお母さん何言ってんの?って引かれるでしょ^^;
あーあ、考えちゃうよなぁ・・・。

本物の懐古厨@2018/6/26tue 01:00のPA

私の周りのDオタ友達の話なんですけど、Dオタ歴20年30年の人とかがザラザラいます。知ってるなかで一番長い人が35年選手かなぁ・・・。なので、まだたった10年ちょいの私なんてほんとただのニワカって感じです。

そういう友達はだいたい自分が懐古厨であることを認識していて、会えば昔話も出て大抵そういうのは盛り上がるんですけど、まぁ懐かしむという程度で、やがて話は最近のトピックスとか、(今なら)TDSの新エリアとか、HSのギャラクシーズエッジの話とかになっていくんですよね。
数日前に会った友達なんか、話してる間中TDSの新エリアの考察してて、うん、なんかそういうのいいなぁって思いながらうんうんと聞いていた。でね。そんな事を思っていたらちょうどSNSで、ほんっっとにずーーーっと昔の話しかしない人を見かけたの。時が止まってるんじゃないの?って思ってしまった。

結局私、ディズニーが何かって「未来そのもの」だと思っている。なので流石に本物の懐古厨は解釈違いすぎる。周りの友達も今何で付き合いがあるって、懐古厨だよね〜(笑)なんてお互い笑いつつも、結局最後は未来のことを話合えるから付き合ってるんだよなぁ、なんて。

で、なんでこんなこと急に書いたかと言うと、やがて私も老化やら置かれた環境やら、時代の流れの中で、いつか本物の懐古厨になっちゃう日が来ると思うんですよね。でもその時は断罪して欲しい。
『かおりちゃん、もう昔のいい時代はあなたの中にしかないのよ』って。優しく教えて、私からディズニーを取り上げて欲しい。そんな自分悲し過ぎるから。
結局、今日のこともいつか、いい時代だったねって必ずやなるけど。そんなものは全部幻想だよ。いい時代は常に未来にしかない。今日より明日の作品、明日より明後日のパークの方が素晴らしいに決まってる。2018年の私が断言してもいい。(まぁチキンリトルみたいな事には今後なるまい汗)

あぁ、ディズニーの作る未来をいつまでも見つめていたいよなぁ・・・。しみじみと。
以上、30年後くらいにボケて懐古しだした時の私のために、2018年の私が書きました。

2018/6/26tue 24:00のPA

例えば連載中の漫画があって、ストーリーが自分の気にくわない展開になってきたからって作者に「ふざんけんな!こんなストーリーじゃなくて、◯◯な展開にしろ!」って手紙送ったら、ちょっと失笑だと思うんだよね。でもなぜか同じことなのにミキミニちゃんはこうなっちゃうんだから、不思議だなぁって思った。

そっか、あなたは前のストーリーが好きだったんだね、でももう話も進んだことだし合わなくなっちゃったならしょうがないよ、今後は読まない方がいいよ、・・・としか言えない。そもそも作者は、たった一人のあなたの為に書いてる訳じゃない。

そんなややこしい問題なのかなぁ。それがどうしてもわからないんだけど、こういうことをTwitterで言うと炎上するからこっち書いた。まぁ気持ちはわからないでもないんだけど。(嘘です、やっぱわからないからこういう事を書いてしまうんだと思うw)

写真の神様がくれたご褒美@2018/6/23sat 01:00のPA

カメラを持ってパークに行くと、時々、ほんの時々、忘れられないような写真、「自分だけの特別な一枚」を撮ることに成功する日がある。

わたしはかれこれ10年以上、パークに行く日にはデジタルカメラを持ち歩いている。
だけど、これすごく好きだなぁ!としみじみ思えるような写真ってのは、実は三、四枚くらいしか記憶にない。
そういう一枚は誰が褒めてくれる訳でもないけど、ずっと頭の中のどこかにあって、撮ったその瞬間のことを10年経ってもリアルに思い出せる気がする。

ここでちょっと話は横にずれるんだけど、ここ最近私はTDRへのインパが続いている。直近でシーに2回と、ランドに1回行ってきました。
だけどパークに行ったって、連れ立って行く我が子のお世話ばかりで、全くと言っていいほどパークには集中できない。
別に子供のことは責めてないよ。ただ、なんだかこう、昔のパークの楽しみ方はもうできなくなっちゃったなぁ、、、って。
まぁ10年やってたオタク生活が次のステージ(育児)に移行しちゃったんだもん。そう簡単に、一朝一夕には慣れないのは仕方ないよね。

あぁ、ミッキーが目の前を通り過ぎたって、子供を見てたら写真を撮る余裕なんてないし。
そもそもカメラをしっかり構えるってこと自体が、子供がいるとできないんだもの。
パーク写真撮影なんてもうはなっから完全に諦めモード。
・・・だったんだけど。
前回のTDS、今日行ってきたTDLで、ふっと、不思議に、「わぁ!これすごく好きだなぁ!」と思える写真が撮れてとても嬉しかった。
こんなに良いなぁと思える写真が撮れたのって、数年ぶりな気がする。
変に、今日は良い写真を撮るぞ!ガンガン構図狙って行くぞ!ってリキまないから、自然といいシチュエーションに巡り会えたりするのかな? なんだかとっても不思議だった。
子供抱えて片手間に撮った写真だけど、写真の神様がくれたご褒美と思って大事にしようと思った。

(ここまで書いてみて、その写真ってどんだけ良い写真よ?、って、このブログを読んだ人が思っちゃったらどうしようって焦る焦る笑
単純に、いい写真が撮れました!えっへん!というだけのお話なのだけどw 大した写真でもないからちょっと恥ずかしくなってきたけどポストしちゃおう)

どっちもすごく気に入っている!
いい写真が撮れて今日は良かったなぁ。

DVCメンバーになりました@2018/6/21tue 21:45のPA

そういえば、前回のアウラニ旅行でディズニーバケーションクラブの契約をしました。ホームはアウラニです。

DVCのイクスピアリのモデルルームができたのがいつだったか、詳しいことは忘れたんですが、確か2009年とか2010年とかですよね。
招待状何度かもらって、3回くらいは内覧会行ったんですよ・・・。でも結局買いませんでしたねー。当時のセールスの方には悪いことをしました。

なので、随分と出遅れてしまいましたがついにここまで辿り着いたかー!という感じ。感慨深いです。
でも買ったら買ったで、あーあの当時買っていれば8年くらいはあちこちDVCで行けたのになー、と思っちゃう。でもこういうのは禁句ですね。
とにかく、これからの夢が広がりまくり! ディズニーバケーションクラブで、色々と楽しい思い出ができたらいいなぁと思ってます。

さて、この後に貼るミキミニちゃんの特別グリーティングのワンショなんですが、2010/8/2にイクスピアリのDVC内覧会パーティーで行われたグリのものです。
写真を貼るに当たってパーティーのことを色々と思い出したかったのですが、2010年当時の様子を書いてくれているブログってのが全然出てこなくって・・・
ワード変えて検索していたら、ついにきちんとした流れを書いてくれてるブログを見つけた!!
・・・と思ったら私でしたw
Vera,Chuck&Dave’s
なんと約10年前のブログ! 存在自体も忘れていたなぁ。もちろんもうこのブログはパスワードも消失してしまって、ログインはできない。
懐かしいのでまた今度ゆっくり読んでみようと思いました。

どうでもいいんですけど、私、こういう二、三年やって飽きるブログとかTumblrとかインスタグラムとか多すぎて、、、
しかも、自分が書きたいこと、自分が読みたいものってたかが10年じゃ変わらないんですよね。。。わたしのやりたいことっておそらく一生変わらないので。
だから今回のように、未来の自分がこうやってブログのパンくずを、WEBのあちこちで見つけてくるのがなんだか可笑しくてしょうがないです。
以上、無駄話でした。

WDWは夢の中@2018/6/20wed 01:00のPA

過去に四回ウォルトディズニーワールドに行った。なのにまだウォルトディズニーワールドは私の夢の中にある。

私の夢の中にある、と評したのは、いまだ実感がない、という意味で。おそらく私はまだ、あの場所をよく理解して居ないんだと思うなぁ。
なんにせよ土地が広すぎる、広すぎる上にコンテンツも多すぎる。一週間の旅行なんかじゃ全然全体を見渡せないし、理解するまえに日程終了、って感じ。

だから実は今までのところ私は、WDWを夢見たことがない。一度も。
そりゃあ、いつだって「行きたいなぁ」とは思ってる。でも、ディズニーランドパリに感じるような、焦げるような熱さをあの場所に感じたことがない。
うん、多分私はディズニーランドパリのほうがよっぽど、実感を伴って理解しているんだと思うな。
夢の中でいつまでもふわふわと漂っている。漠然として思い出も未来も掴みどころがない。それが私のウォルトディズニーワールド。

なんだけど。
なんだけど。
急にこのあいだ、「あ、次に行ったらWDWがわかるかも」という気持ちが降りてきた。
地図を見なくても、自分がいまだいたいどの辺にいるか。
ガイドを見なくても、だいたいどこで何をやってるかわかりそう。
なんかそういう感覚的なことなんだけど、あ、次行ったら全体が見えてくるな、という直感がきた。

なんかちょっと怖いな。ほんとにあそこを私の現実にしちゃったら、私、ついにWDWに夢中になっちゃいそう。五回目にして、って感じだけど。
楽しみだし、でもちょっと怖い。

御利益がありすぎる七夕@2018/6/17sun 23:00のPA

TDSに行ったのが四日前の話なんですけど、その時気まぐれでこんな短冊を書きました。子供と一緒にWDW行けたら夢みたいだなぁ・・・

そしたらそこから急展開で、昨日になってぽろっと希望していたホテルが取れました。
この冬にWDW行けそうです。やったー!

御利益ありすぎて怖い。というかまだ七夕前なんだけど笑
この調子でDLPも頼む・・・・・・・・・

舞浜発・記憶転送装置@2018/6/14thu 23:30のPA

今日の昼間、ちょっと育児の合間ができたんで、昨日のインパ日記と称したTDS賛美を心のまま書き留めていたら、その数時間後にTDS大規模再開発が発表されてびっくり。
とは言ってもぶっちゃけ驚くような内容はなかったかな。むしろあれ? TDSちゃんってばちょっと会わない間になんか雰囲気変わったね? 落ち着いちゃった??? みたいな。
ホテルはちょっとびっくりしたかな。新しいゲート、裏に作るのかな? どんなテーマのホテルになるのか、ミラコスタとどう区別していくのか、気になる。
でも、あとはどのアートも、もう見てきたものの寄せ集めって感じだったから新鮮味はなかったかな。Frozenのエリアは香港に持ってかれた格好でお流れになったんだとばっかり思い込んでいたけど、残ったのも意外だった。
ピーターパンとラプンツェルとフローズン、既定路線っぽい感じは拭えない。本当はもっと冒険して欲しかった。
でもまぁいいんじゃないかな。今OLCが安全牌を取ることを私は責められないよね。


そういえば昨日シーを歩いていて、心底出た言葉が「東京ディズニーシーはディズニーパークス界の真珠」って一言だったんだけど、これ、友達も褒めてくれてね笑 我ながらうまいこと言ったなって一晩経って思った。
真珠と言っても、養殖じゃなくて天然のね。
私思うけど、きっと開発時期があともう10年遅くても早くても、東京ディズニーシーは作られなかったと思う。もちろん、場所が東京じゃなくても作れなかった。
貝の中に偶然に核になる創造の小石が入り込んで、そこに真珠層が何年も何年も密かに重なり合って、それで十年以上経った2001年についに日の目をみた大粒の真珠。

改めて、東京ディズニーシーがいかに冒険とイマジネーションの結晶だったか。偶然が全ていい方向に転がって、奇跡レベルで出来上がったすごいパークだと思う。ほんと、とんでもないことだったよね。偶然の裏にあらゆる努力があったのは分かって書いてるけどねw
あぁー、あの日シーの全てが新しくて、全てが革新的だった。本当は新エリアにもそんな驚きが欲しかった。もっと新しい何かが欲しかった。誰も見たことの無いような・・・。TDSにしかできないような・・・。夢見すぎなのかなぁ・・・。
でももう、時代が変わっちゃったんだよね。きっと。

全然関係ないんだけど、今日のタイトルの「舞浜発・記憶転送装置」ってのは、新エリアのことを指していて、きっと私、新エリアに行ったらDLPのことを思い出して懐かしくなるだろうなぁって思って。それでこのタイトルにした。
きっと、その場所に立つだけで私の身体がパリに飛ぶような、思いもかけないような効果を発揮するんじゃないかなって、今から楽しみ。

写真はディズニーランドパリ版です。TDSがどんな世界観を見せてくれるのか楽しみに待ちたい!

海辺の尼か修道女@2018/6/14thu 12:30のPA

久しぶりに東京ディズニーシーに行ってきました。

今回、自分の子供とシーに行ってきたんですけど、子供と一緒に行くシーってのが初めての経験だったんですよね。
つまり、私の子にとってはシーのファーストヴィジットだった訳ですが、まぁここでその話は後に回します。長くなるんで。

それで話を巻き戻すと、私、舞浜の年パスはあっさり数年でリタイアしましたけど、でも結局Dヲタをやめられなかったのでその後もちょくちょくシーにインパはしていました。
もちろん友達と行くことも多かったですが、一人で行くシーが本当に好きだったんですよね。

当時、一人でシーにインパしたら、何をするでもなくブラブラとパークを一周したり写真を撮ったり、ご飯を食べたり酒を飲んだりするのが後年(?)の私のシーの楽しみ方だったんですけど、なんかこれ、思い返すと私にとってシーとの対話の時間だったなぁ、と。
私、別にまだ頭はおかしくないので、これも大そう真面目に書いているんですが、一対一でシーと向き合う時間って、私にとっては祈りの時間だった。
別にTDSを神格化してるんではなくて、表現は難しいんですが、このパークが発する創造性、それは何十年経っても色褪せないクリエーター達のイマジネーションのことを指してるんですけど、そういうものと正面から向き合っていた気がする。
それは多分突き詰めると、神との対話というものに行動や心理は非常に近かったと思うんです。

積まれたレンガのひとつ、無造作なペイントのひとつ、そういう物を見つめている時間の中で、人間の作ったただの建造物の中に無限の物語を見つけること。
それは料理も同じで、なんかこうシーでシーっぽい食べ物を食べている間は、深い物語の中に身を委ねるというか、もう書いてて訳分かんなくなってきたのでここらで締めますけど、自分の中のTDS、外のTDS、それらが一体化する喜びというものが、あの日あの瞬間のインパには確かにありました。

で、昨日なんですけど。
子供と過ごすシーは当然のように祈りも物語もなく、私はただの1分も東京ディズニーシーという存在に向き合うことはなく。まぁずっと子供のお世話してた訳ですね。
まぁそれはそれで私に新しい喜びを与えてくれた。子と過ごすTDSは最上の喜びではあったけど、でもあの日感じた深い恍惚感のようなものも、私には同じようにかけがえのないものだった。
という話を書いていて、やっぱり私はあの日、海辺の尼か修道女に間違いなかったなと思いましたね。瞑想みたいなこと知らずのうちにしてたんじゃないでしょうか。自分でも笑っちゃうんですけど、ほんと我ながらオタクって面白いですよね。

願わくばあと10年とか、15年とかして子育ても落ち着いたら、また深く東京ディズニーシーと向き合ってみたい。
その時私はまた、東京ディズニーシーに自分なりの祈りを捧げるんだと思いますね。

ディズニーオンアイス今昔@2018/6/12tue 23:59のPA

あれは確か、私がDヲタになった2005年か、翌年の2006年だったと思うんだけど。正確な年が思い出せないのだが。
Dヲタになったからにはあれもこれもと攻めてみたくて、広げてみたくってね。人生で初めてディズニーオンアイスに行ったんだよね。
今でも思い出すんだ、もう会場中うるさくてうるさくて、私は一つも演目に集中できなくて、終始イライラしていた。
それで、もう二度とこんなの来るかよ!と、それから10年はオンアイスに近寄りもしなかったんだ。

それで今日、あれから10年と少し経って、なんの因果の特異点だかは知らないんだけど私は子供を持った。
まぁまず何したかって、最初にオンアイスの予約を取ったよね(爆笑)

昔、会場で赤ちゃんがずっと泣いていてさ。なんだか独身だった私はそれがとっても息苦しくって。何が苦しかったのかも今となってはよく思い出せないんだけど。オンアイスが子供向けの演目ってのはちゃんと理解してたから、愚痴も言わなかったけど。いや、嘘だな。一緒に行った友達に愚痴った記憶があるわw
とにもかくにも、自分でも自分の気持ちの置きどころがなくて、どうしようもない上にどうにもこうにもって感じで。
でもそれから十数年経った今は今で、やっぱ自分の子供との生活はちょっと息苦しい時もあって、家で二人の時に泣かれたりなんかしたら、とにかくもう気が滅入っちゃってしょうがなくて。

でもまあオンアイスだったらちょっとくらい子供泣いても、ちょっと席立てばいっか!みたいな。んじゃちょっと気分転換にオンアイス行っちゃうか!!やった!楽しみ!!みたいな。私は今確かに、オンアイスのそこに救われている。
あの日どうにも救われなかった自分が、十数年経って救われたりするから、まぁ人生ってよくよく不思議だよね。
・・・というオチも意味もない話でした。

なんかTogetterみたら、赤ちゃんが泣いてどうのこうのっていうまとめを見かけてね。ついつい書いてみたんだよね。
私はどっちの気持ちもわかるし、どっちの気持ちもしんどいのわかるし、でもまぁいつの日か、過去のあの日の自分も含めて救われる瞬間みたいのがあるとしたらいいよね。そんな日が今しんどくて仕方ないみんなに来たらいいよね、と、思った。
今日のは特に意味わからん話と思うんですが、やっぱ書きたくて書いちゃいました。ごめんなさい。

colos EXPO 2018 に参加しました

LINK: colos EXPO 2018 – すべての“好き”をつなぐ、究極のファンイベント

2018/06/09 (土) colos EXPO 2018に参加しました! 良いイベントだった!

過去を振り返ると自分は小学生のあたりから、自分がオタクであることを認識していました。それからは常に、その時々の対象物に100パーセント以上の情熱を捧げてきたつもり。いつまでも心は熱く、若く、血潮滾ってる、つもり、だったんですね。
それで、私がディズニーオタクになったのは2005年のことなんですが、十年一昔と言いますか、なんかいつまでも若いつもりでいたけどすっかりおばちゃん。老害化。
昨日はcolos EXPO 2018の主催者や、もっと若い参加者の方達たちの情熱に触れて、自分も情熱では負けない気でいたんですが、あれ、なんかもう違っちゃったかなぁ・・・なんてことを思っていました。目の輝きというか、本当にみなさんの「ディズニーが好き!」の気持ちが熱かったんですよね〜。パワーも熱量も圧倒されました。
うん、なんか羨ましかったです。羨ましい。そう思うってことは、もう私はすでにそれを失ってしまっている、ってことですもんね。なんかちょっと寂しい。

でも老害はまだまだ諦めない。そうも思いましたね。
想像国際空港、ちょっと、このサイト名を口にするたびにうわつよいというか、うはw って感じになるんですけど、でも、私がディズニーオタクとしてやりたいことを全部ここでやろうと決めて立ち上げたので、老害は老害なりに、老害の視点から、これからも「ディズニーが好き!」ってことを自分の内外に示していきたいなと感じました。

改めて、主催者colos会とスタッフの皆様、お疲れ様でした。素晴らしい一言では足りないですね。

さて、愚痴な上に長文なので全然読まなくて良いですが、昨日のcolos EXPO 2018に感化されて D23 Expoってなんだろう を書きました。
参加者のLTも全部ではないんですが拝聴し、ステージもいくつか見て、グッズを買ったり、同人誌を見たり、みなさんがそれぞれに見つけた「ディズニーの好き!」を追求しているのを拝見したわけですが、あーExpoってこれこれ、これなんだよなぁって思いました。
何が言いたかというと、みなさん一様に未来志向でしたね、という事です。それぞれがそれぞれの、ディズニーと過ごす未来を見つめていた。
それってD23 Expo Japanよりよっぽど、D23 Expoの本質だと思うんですよね。
だって私、ディズニーって未来そのものだと思います。もう過去のどこにも深い意味はないんです。意味があるとしたら未来にしかない。
許可取ってないのでここでは詳しく触れないですけど、プチオンリー開催とか、ピントレイベント開催とか、みんなでどんどん力を合わせて未来に向かって進んでいくぞ!という様がすごいカッコ良かったです。

うん、良いイベントだった!! 模造紙展示のレポートなどは後日また改めて。

D23 Expoってなんだろう@2018/6/10sun 22:00のPA

突然ですけど今日はD23 Expoについて書くことにしました。
私はこれまでに、本家(アナハイム)のD23 Expoに2013年と2015年の二回参加。加えて、日本(舞浜)のD23 Expo Japanにも同じく2013年と2015年の二回参加しました。それを前提に読んでね。

本題です。話のはじまりは、本家アメリカのD23 Expoについて。
さて、「D23 Expoってなんでしょう?」
この質問を100人のディズニーオタクに聞いたとしよう。もしかして答えは100通り返ってくるんじゃないかなと私は思う。
オールディズニーの祭典、ディズニーの最新情報の発表会、ディズニーの歴史を振り返る展示会、有名人に会える場所、最新ディズニーグッズの販売会、秘蔵お宝グッズの発掘場、ディズニーキャラ特化のコスプレイベント、etc…
ざっと今思いつくような答えを書き出してみたけど、D23 Expoの懐(ふところ)って驚くほど深いので、100人が体験するD23 Expoの感想は、100通りの答えで返ってくると思うのね。それがD23 Expoなの。

それで、私も考えてみた。D23 Expoってなに?
私が今答えるとしたらこうかなぁ。
「ディズニーの過去と現在から、ディズニーの目指す未来を示す場所」
ディズニーの目指す未来。それは映画のこと、パークスのこと、様々な未来について語られる訳だけど、未来ってのは単純にこれからこんなことをやりますよ〜作りますよ〜、こんなことが起きますよ〜というだけでなく、ディズニーが持つ未来へのビジョンを明らかにしていくってことなんだよね。
単にディズニーの新作発表会じゃないの。もっと壮大な、ディズニーが向かうべき場所について語られる場所。それが私の思うD23 Expoな訳。

「ディズニーの過去と現在から、ディズニーの目指す未来を示す場所」
ここまで書いてみたけど、この一文の中で一番に大事なのは示される「未来」についてだと思うでしょ? でもちょっと待って。未来と同じくらいに「過去」も大事なんだ。
ここで話が飛ぶんだけど、映画、Moanaで描かれたテーマのひとつが、「自分がどこから来て、どこへ行くのか。自分は一体誰で、これからどう生きていくのか」だったよね。まぁここでMoana語りだすと長くなるから、はしょっちゃうけど。
で、私がここで何を言いたいかというと、実は映画Moanaが言いたかったことと一緒なんです。
未来を目指すには、自分が辿って来た道=過去を見つめなければ一歩も先には進めないってこと。なぜなら、未来ってものは自分の人生の中に突然訪れるものではないから。いきなり明日、未来が降って湧くもんじゃない。自分が過ごした過去、そこからの現在、その地続きの先にしか未来はありえない。
自分が何者であるか、Who you are. それに答えることができてやっと、We know the way. これまで自らが辿ってきた道の先に、この先の未来を知ることができるんだと思うんですよ。

ここでやっと話がD23 Expoに戻ります。
D23 Expoでは、ディズニーの目指す未来についてディズニー自身が語ってくれる訳ですけど、その時にディズニーの過去を振り返るってことが本当に重要だと思うんですよ。
D23 Expoで語られるディズニーの過去ってどんなものがあったっけ、って思った時に、私が思うのが、Disney Legendsの授賞式や、Walt Disney Archivesの展示ですね。
Disney Legendsではディズニーの功労者を讃え、Walt Disney Archives展では作品やパークスの歴史にスポットライトを当てます。
私にはこれらの発表は、ディズニーが向かう未来の為に、これまで辿ってきた道をもう一度みんなで再確認しましょうよ、と言っているように感じます。未来のためには、過去を見つめることが必要不可欠なの。

さてさてさて、ちょっとここからキナ臭いですよ。不穏な空気を感じた人は自衛してくださいよ。
私、本当に、心底、D23 Expo Japanが許せないですよ!!
グッズ売りまくるだけの物販イベじゃねーか!ってそんなことはいいんですよ、本国だってグッズ関係はめちゃくちゃ熾烈だし、グッズ系オタはグッズ買うだけで一日終わるしね。そんなことについて許せないんじゃないんです。私が絶対に許しがたいのは、OLC公演! あれだけは絶対に絶対に許すまじ。

OLCはなんか勘違いしてるんだと思うんです、つーか、D23 Expoの本質が全くわかっていらっしゃらない。
過去を見つめなおすってことと、過去に戻ろうとする=回帰する ことは、イコールじゃないってことです!!
みんなで過去ショーを見て、ね? 懐かしいね、戻りたいね、良い時代だったね? って、あまつさえダンスまでさせて。Dオタだってそんなことわかってる。楽しかったあの日に一日限りでも戻れるなら、嬉しくてしょうがないよね。だって懐かしい。どうにも懐かしいもん。

でもね、それはD23 Expoの精神への最大の違反行為、絶対にやっちゃいけないことだと私は思う。
OLCが進むべき道の先を示すのは最後の五分だかだけで、やってることは道の逆戻り、Uターンしちゃってる。アホか。D23 Expoであんなことは絶対にやっちゃダメだった。今でも苦々しく思ってるし、またどうせ2020年におんなじ再演ショーでDオタの気持ちを気持ちよ〜くくすぐるんだろうなって、悪趣味の極みだなって思ってます。
D23 Expoはディズニーが進むべき未来を示すイベントです。過去を振り返りはするけれど、過去に立ち戻ることはにはひとつも意味がないです。
OLCがあんな内容の公演をこの先も続けるつもりなら、D23 Expoの名前は外して欲しいし、もう呼ぶのも馬鹿らしいので最近は EJ って呼んでます。はい。

若干の怒りと共にぶちまけちゃいましたけど、EJに参加された方やOLC公演が好き!楽しかったのに!って方はこれを読んで不快な気分にならなくていいです。
悪いのは全部、全然わかってないOLCです。言っちゃば、OLC公演を見たゲストは半ば強制的に、過去に立ち戻ることを強要されている。だって、あんなの見せられたら心が過去に戻っちゃうよね? 仕方ないです。一度戻っちゃったら楽しいのもしょうがないです。楽しかったのが事実ですし。

とにかく、あんなものを企画したOLC社員は、あと3回くらいはD23 Expoに参加して、D23 Expoがなんであるかをきちんと理解した上で、また6年後くらいにD23 Expo Japanを開催してください。以上

これはもう現代の宗教戦争@2018/6/8fri 21:00のPA

この問題を、ここで一体なんと呼んだらいいものやら困っているんだけど、どうせ誰も読んでないし。いいや呼んじゃう。
・・・ってことで、「ミキミニの顔問題」が完全に宗教戦争の様相!

(ここから先の文章は誰に対して書くものではないです。絶対に、誰かに対しての煽りやおちょくりでもないです。私はすごく真面目に考えているし、これを本気で書いている。
でも、来年40歳になる私の余命が後30年とか40年とかだったとして、「私が生きているうちにはもうミキミニの顔は変わらないかもしれない」んだよね。今しか書けない今のことだから書いてみた)

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さて。残すところを聖地・舞浜の地のみとし、ついにミキミニの顔問題は最終局面へ。このまま舞浜のみをガラパゴス化するのか、または忘れかけていた宗主国(ディズニー本社)に付き従う道を取るのか。聖地の覇権を奪取せんとする二大宗教はふたつ。
・新を受け入れるよ教
・旧しか愛せないよ教

一見、ただ二大宗教が争ってるだけのように見えるが、その内実は、新を受け入れるよ教の中でも「新が心底好き」派(積極勢)から、「内心は・・・でももうこうなっちゃたら受け入れるより他仕方ないじゃん」派(消極勢)まで、新宗教内で五段階くらいの派閥に分離していた。

同様に、旧しか愛せないよ教の中も五段階くらいに内部分裂。「絶対に死んでも新は受け入れられない」派(タカ派)から、「審判の日をただ祈りながら待つ」派(ハト派)まで、これも宗教内で派閥は完全分離。
兎にも角にも、右も左も入り乱れ。鷹も鳩も大騒ぎの中で、合計10程の宗派が譲れない信仰を今日も神=ミッキー(ミニー)に捧げている状態。

これってさもう完全に、過去、人間が繰り広げてきた宗教戦争の歴史とおんなじ構図なんだよね。
そもそも宗教戦争って、唯一神(ヤハウェ)に対する「解釈違い」が争いの大元な訳で。神の言葉(そんなものは本当はない)を自分はどう信じるか。自分の信じる神とは何かの定義の問題な訳。
そこで、唯一神をミッキー(ミニー)に置き換えれば、もはやミキミニの顔問題も信仰の問題ってことがわかる。
つまり、「汝、ミキミニをなんと定義し、信じるか」ってこと。

幸いなことに、本物の宗教戦争と違って、偶像であるミキミニはただの一企業のキャラクター。遅かれ早かれきっちりとした答えはでる。(本物の宗教戦争は、争いの根源である神がほんとにほんとの偶像=ある意味では虚構、であるから、一生戦争をやったって正確な答えなんか出ようもないんだよね。)
ってことで、この問題もいつかは答えが出るから、それを待つのみ。・・・なんだけど、なんかもうあまりに顔宗教戦争が面白すぎたんでついつい書いてみた。

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というか私ね、また話がずれるんだけども、この問題においてOLCの罪は思ったよりも大きいんじゃないか、と感じている。
アイドル=偶像であるミッキーに、本家が作り出す以上の余計なイメージを付与したのは間違いなくOLCの罪。

結局のところ、舞浜でみんなが持ち上げてるミッキーのかっこよさの偶像って、OLCが作り出した架空のイメージなんじゃないかと私は思うんだけどね。どうなんでしょ?
真面目な話、舞浜のミッキーマウスのイメージってどっからきてんの?? 蒸気船ウィリーから始まって、これまでの短編アニメなり長編アニメなり、またはコミックスなり。最新のディズニーチャンネルのミッキーマウス!でもいいんだけど、舞浜のミッキーマウスが一体何を原典としているのか、私にはわからない時がある。

うまく表現できないんだけど、舞浜のミッキーは一体何を聖典としてるのって話。なんかもう、ディズニーが書いた原本でもなければ聖書でもコーランでもないし、OLCがどっかから改変して引っ張りあげたOLCオリジナル聖典を元にしたミッキーって感じ。言いたいこと、わかる?
まぁ、それはそれでいいんだけど。私別に舞浜のミッキー嫌いじゃないし。今ここでその是非を問うてる訳じゃないから。でもほんと、舞浜のミッキーって一体なに??? なんなの??? わかんない。。。まぁこれも信仰の問題だよね・・・。THE哲学。Philosophy…ミッキーって何。その本質はどこにあるの??

ってことで自分でも訳分かんなくなってきたので締めくくりますけど、ほんとは総合的なミッキーマウスのイメージってものが本家と日本間で乖離しないように、ディズニー本社とOLCの間できちんと連携を取らなきゃいけなかったんですよね。でも変にフランチャイズ契約にしちゃったもんだからか、手を抜いちゃったのか、イメージの統合もできないままこの35年やってきちゃった、しかも35年経って乖離がここ最近ますます酷いってことなんじゃないのかなぁ・・・。ぶっちゃけキャラクターの同一性が保たれないよね。・・ってゲス勘ぐりでした。
まぁでもこう考えてみると、この宗教戦争の元凶たる戦犯は誰よって、一目瞭然な気がするんだけどね。どうなの。

colos EXPO 2018 に参加します

LINK: colos EXPO 2018 – すべての“好き”をつなぐ、究極のファンイベント

2018/06/09 (土) 大田区産業プラザPio 2F小展示ホールで行われる、colos EXPO 2018 〜すべての“好き”をつなぐ、究極のファンイベント〜 に参加します。
私の参加コマは以下の二つです。

まず、個人名義として、colos EXPO 2018〜 LTステージ〜 ライトニングトークで五分間お喋りします。
時間は11:18から、タイトルは「自己紹介2分・アウラニ3分」です。
タイトル通り、自己紹介をさらっと、あとはアウラニで見つけた小噺を皆さんにご紹介予定です。

自己紹介をやろうと思ったのは、もう四、五年、こういったコミュニティに顔を出さないでいたら、もう顔ぶれも半分変わっていたというか。LTの参加予定者の方々のお名前を拝見したんですが、初めましての方も多そうだったので、二分間は自己紹介をすることにしました。
まぁ、この業界(?)の顔ぶれが半分変わった、というよりも、以前の私は割と固まったメンツとばかり交流していたので・・・。いけませんね。この機会に新しい方々にもご挨拶したいなと思った次第です。

さて、もうひとつの参加は想像国際空港名義として、空飛ぶねずみくん企画 を模造紙展示します。このページにない新たな収録はありませんので、単なる再録発表ですね。写真をペタペタ貼った模造紙を、ペラっと貼ります。あと可能であれば、ねずみくんの本体を初披露しようかな、と。(運営に事前相談してないので、ちょっと現地の様子を見て展示方法は変えます)

当日公開する写真には新しい要素もないですし、目新しいこともないんですが、でもWEB写真集ではなくリアルな模造紙展示ということで、またWEBとは違う新しい印象を持っていただけると思います。
しかし今この写真集を見ると懐かしいですね〜! なんともう6年前(!!) 時間の経過速度がやばたにえん。。。(老化現象・・)

空飛ぶねずみくんの模造紙展示の方は、模造紙や会場の様子を写真に残し、後日サイトに掲載しログを残そうと思います。現地に来られない方は是非そちらもご覧ください。
以上お知らせまで。

石橋陽彩さんが凄すぎる@2018/6/6swed pm22:00のPA

ハワイに行った時の往復のJAL機内で、ちょうどPixarのCOCOを放映していたので何度か繰り返して見てみた。日本では原語版を視聴済み。そんで機内で日本語吹き替え版を初視聴。
そしたら心底驚いた。ミゲル役の石橋陽彩さんが凄すぎる。オリジナルキャストのAnthony Gonzalezさんを凌駕している!
しかもただ歌が上手いだけじゃない。めちゃくちゃエモい。単に歌の技巧どうこうだけじゃなくて、妙に心に響く歌声だ。

ディズニーの映画、長編アニメにしろ、ライブアクションにしろ、これまで見てきた全映画でオリジナルキャストよりも吹き替えが良いと思ったのって本気でこれが初めてかも・・・。
しかしディズニージャパンはどこでこんな逸材を見つけてきたんだ。私も大概アンチディズニージャパンだけど、今回ばかりは褒める。えらい。よくやった!!毎回これくらいの仕事してくれw

好きってことが生きる歓び@2018/6/2sat pm23:00のPA

何個か前のブログで、勢いに任せてOLCをdisっちゃったけど。いや、ほんと今読み返してみたら「愚痴れるって素晴らしい!!」ってこと!!

しつこいけど私、ここ一年半くらいあまりに無気力というか、「無」そのもので、ディズニーに興味持つことすらできなかったんだよね。ディズニーのことなんて心底どうでもよかったの。だから、愚痴ることすらできなかった。
どうしようもない愚痴をブログに垂れ流したけど、やっとこんなに元気出てきたんだ、元気いっぱい愚痴れるような調子に戻ってきたんだ、ってことが本当に嬉しい。
だって愚痴って体力使うもん。というか、良かれ悪かれ感想が出て来るほど何かに興味を持つのって、知らずのうちに膨大なエネルギーを使ってるんだよね。

話ずれるけど、ここ数日、私の中のDLP回帰モードのスイッチが完全に入っちゃってて、あぁ、考えるたびにまた行きたいなぁ、ディズニーランドパリ・・・、恋しいなぁ。あぁ。またため息。また。また。またまたまた溜息。
切なくて切なくて、パリのことを思い出すたびに胸が千切られそうだけど、同時に感じるのは「あぁ、私、生きてる・・・!!素敵!」ってこと。
ディズニーランドパリのことが好き。ディズニーが大好き。そう思える瞬間にだけ、私の精神は生きることが許されている。
そして思うのは生きることの本質について。つまり生の歓びってこと。

ディズニーっていいよなぁ。一度すっかり心の中から失ってしまったから逆に、「ただ心のに中に有る」というだけの、でもその偉大なまでのありがたみを思い出せた気がする。ありがとう。
今日も明日も、愚痴ったり好きになったりしながら、死ぬその日までディズニーと共に生きていきたい。

決意新たに。ありがとうございます。(完全に宗教)

今日の話とは全然関係ないんだけど、たまたまライトルームに出てきたのが可愛いから貼ってみた! パジャマコスもまたいつか会うチャンスがあったらいいなぁ。好き!

ディズニーランドパリに恋してる@2018/6/1fri pm23:30のPA

多分もうずっと、ディズニーランドパリに恋してる。

世界中のディズニーパークスに行って、そのどれもが最高に素晴らしかった。だからどこが一番いいかなんて単純には決められない。きっと真面目に一年悩んだって、答えは出せないと思う。
でももし、たった今誰か、神様みたいな人に、「どこでも好きな所に行っていいよ」って言われたら、もしかして私はディズニーランドパリを選んでしまう。かもしれない・・・。自分でも理由はよくわからない。でもなんとなくディズニーランドパリが好き。ずっとずっと好き。

実は、仲の良い友達にはポツリポツリと話したことがあるけれど、私はディズニーランドパリのキャストから人種差別というか、明らかに侮蔑されたことがある。私は英語ができないので、その時はとっさに受けた侮辱を私の勘違いだということにして、変に笑ってやり過ごしてしまった。(今思えばそうやってヘラヘラ返すから馬鹿にされるんだよな。失敗だった。)
あと、本当にこれはトラウマというか、いつかこのブログでも乗り越えなきゃいけない私の中の課題のひとつなんだけど、パリのキャラクターから身に覚えのない嫌がらせを受けたことが一度だけある。おそらく、私を誰か別の東洋人と勘違いしたのだろうか。「グリーティングの拒否」という謂れのない仕打ちを受けた。しかもそのキャラクターは私の大のお気に入りキャラクターだったので、私はあまりのショックにその後しばらくそのキャラクターとのグリができなくなってしまう、ということがあった。
まぁ今思い返せばどちらもとんだ笑い話なのだけど。当時はショックすぎて、誰にも話せずひとりで悶々としていたことを思い出す。

そんなこんなで、どうして今急にこんなことを書いたかというと、決してディズニーランドパリが私にとって甘い思い出ばかりではない、ということ。どちらかというと、タイミングというか相性は悪くて、狙ったイベントや譲れない駒を取り逃がしてばっかりのパークだった。こんな酷い仕打ちも受けたしね。

それでも。なんだか今無性に恋しくて、恋しくて、今すぐにでも飛んで行きたい。この恋い焦がれるような焦燥感、夢にまで見そうな、瞼の裏に残り続ける残像のような。ディズニーランドパリ。
そりゃアナハイムやWDWや、他のパークだった行きたくて仕方ないけど、こんな焼けるような胸の痛みを感じたことはないなぁ。

どうしてディズニーランドパリだけこんな風に感じてしまうのだろう。不思議。ずっとずっと不思議。あー。これって絶対、恋、だよね・・・。違いないわ。

Twitterオワポ@2018/5/20tue pm20:00のPA

Twitter辞めたんですけど。
超久しぶりに一言書いてみたら予想以上に反応を返す人がいて、前ってこんなだったかな?!ってびっくりしてしまった。呟き自体は大した内容でもなかったのに。

それでふと思いついたんだけど、超個人的にTwitterがめちゃくちゃつまんなくなっちゃった原因がまさにここにあるんじゃないかなと思って、思いつきを簡易メモしておく。

①RTといいねの文化が成熟期を通り越して末期になってきているんじゃないかなと思った。TL上では延々と、自分の頭で考えるよりも先に、自分の言葉で発言するよりも早く、知らない誰かの意識が自動的に流れ込んでくるでしょ。それをワンクリックする(RTやいいねする)だけで、まるで自分がそれを発言したかのような快感作用がRT者の脳内に生まれてしまうんじゃないかな。
私の気のせいかもしれないんだけど、なんかここにきてRTやいいねが、単純なシステム上のRTやいいねの意味を超えて、「オレも、私も、たった今同じことを言おうと思っていたんだよねー!」というような。だめだ、上手く表現できないんだけど、「その発言の代弁者でありたい」というような願望まで感じてしまったんだよね。気のせいなんだろうか。

②そんで次の段階。RTに関して私はこう思うんだけども。もし、RTする人が、回ってきたRTと同じことを思っているのなら、全く同じ内容であってもRTするよりかはおんなじことを発言すれば良いんだと思うの。でも、今のTwitterの文化がそれを許さないよね。タイムスタンプが1秒でも早い方がその発言の価値を総取り。似たようなことを言ったら「パクリ」「◯◯さんの後追い」「おんなじ事言ってる人いますよ」って言われちゃう。もしくはノイズ扱い。余計な事言うと検索の邪魔だからRTする以外は黙っててよ、あんたの意見なんか聞いてないよ、って最近のTwitterの暗黙ルール。

③よって、自分の言葉を知らずに押し殺していく。RTやいいねをクリックするだけの共感マシーンと化する。すると毎回RTやいいねを稼ぐ特定の有名垢だけが、さらに拡散されていく。そんで最初の①に戻る。RTする人は発言を押し殺しているつもりはなくても、自分が言っているんだという脳内麻薬は出てるし、イイキモチにはなっちゃう。でも実際は有名垢のRT稼いでるだけ。そんでまたそっから②と③の繰り返し。

発言の多様性もクソもなし。Twitterオワポと思うんですが、どうなんでしょ。この悪循環を脱する道があんまり見えてこない。まぁ単純に私が、RTってなーんも面白くねぇなぁ、そんなクソなお手軽RTで言った気になるくらいなら、クソでもいいからお前の魂の言葉を一言でもいいから聞かせろよ!って思ってるせいで、こんな風にしか捉えられないのかもしんないんだけど。すみませんね。

これ、五分で書いたから意味通じるか心配。通じてる???

2018/5/28mon pm13:00のPA

TDSのファッショナブルイースター2018年版を見た。
ショーの全体通じて、ひとつのストーリーとして体をなしてない。あまりに酷くて驚く。
物語の起承転結の体裁すら守ろうとしていないし、もう物語を語ろうということすら放棄している。見ていて自分の日本語能力が崩壊したのかと不安になるレベルだった。

別に、ファッションショーをやるならファッションショーやるんでいいと思う。ファッションショーは最初から「物語」ではないからね。キャラやダンサーが着替えて、踊って、とっても綺麗ね! それでいいんだよ。
でも一応これ、OLCはファッションショーではなくハーバーショーを作っている(つもりな)んだろうし、、、何を考えているのかさっぱりわからず見ているこっちの精神が崩壊しそう。

普段私は、ディズニーのコンテンツの批判を口にしないようにしている。家族や仲間内には時々愚痴みたいな形で漏らすけど。でも、私の感想なんてネットに残すほど大した批判でもないし、素人の批判なんて意味がないしね。
それにどんなに酷い作品でも、失敗作でも、ディズニーがやったことは絶対に未来の礎にはなるんだ。そう信じている。そう信じたい。私は、新しく踏み出したその一歩だけでも褒め称えたい。

でもさぁ・・・ ちょっとこれはさぁ、、、 反省した方がいいよOLCは。新しく踏み出した一歩もクソも、そもそもこれ再演だし。こんな崩壊した改悪版晒すくらいならまだ過去作そのままでよかった。
OLCはいい加減に目を覚ますか、いっそもう、ショーを作る能力は我が社にはありませんって放棄して、はじめっからファッションショーやってればいいと思う。人に見せられるレベルの出し物じゃないよこれ。猛省せよ。

とどのつまり本物のキャラオタじゃなかった@2018/5/22tue pm20:30のPA

書こうかどうしようか一週間は悩んだんだけど、十年後に読みたくなる気がしたので書いておく。書いておこう。

話が長くなるけど、私の周りのディズニーオタク達が総じてブレなさすぎてヤバイ、という導入部分から書く。
「物心ついた時にはもうミッキーが好きでした」とか、「年パス初年度から持ってます」とか、「もうかれこれ三十年以上TDL追ってます」とか(東京ディズニーランドできてまだ35年なんだけど??!^^;)
「毎週末インパしてます」ってのはまぁわかるんだけど、だいたい就職とか結婚とかで5年10年で一区切りつくんだよね。でももうそんな生活20年近くやってます、とか。
夫に到っちゃ四半世紀ディズニーの情報追っかけて、その生活スタイルこの25年でびた一文変わってみたいだし・・・。
・・・・・・。
なんかもう、本当に好きなんだよなぁ・・・。

翻って私なんだけど、2005年に憧れの共通年パ買ったはいいけど、二、三年であっさりリタイア。ちょうど爆発的にDオタが増えてきた時代で、地蔵もインパも過酷すぎてこんなところ遊ぶところじゃねーよ!とばかりに海外に逃避。
そっから海外メインにミキミニオタ始めたけど、今2018年でしょ、十年ちょっと経って、なんか私、本当にキャラオタだったのかな? 本当に本当の意味でミキミニが好きだったのかな?? いや、違くね・・・って、いや今更だけどおぉ・・・。

結局のところ、私のディズニー好きの原点っていうのが、まだ子供だった頃に家族3人で行ったディズニーランドでの1日、「一年で一番幸せな一日」ってのが大元なんだよね。それが根元のテーマなわけ。
2005年にディズニーオタクを初めて、結局ずっと追い求めていたのはキャラクターそのものではなくて、その幸せな一日の復興だったんだよね。その手っ取り早い表現というか、具現化したものがミッキーとミニーのキャラクターが表現する “LOVE” だったわけ。
だから私昔っから、キャラオタだけどミキミニがセパレートになるともう興味無くしてた。なんでって、ミキミニ二人の間に生まれる完全なるハーモニー=愛を追い求めていただけだから。セパレートだとノーハーモニーでしょ。
こういう話は仲のいい友達には何度か話たし、確かTumblrにも書いたし、薄々というか、ずっと内心気がついてはいたんだけど。でもここにきて、「あー!やっぱり私、本物のキャラオタにはなれなかったよー!!」という叫びなのでした。ちゃんちゃん。

大事な事なんでもう一回繰り返して書くけど。
とどのつまり私、私の周りの本当のキャラオタみたいに、キャラクター自体を愛していた訳ではなかった。幼少期の思い出の投影としての、偶像のミキミニちゃんを心に描いていただけだった。
なんかもう自信なくなったから、これからはキャラオタ自称するのはやめて、キャラファン、くらいに留めようと思います。今後はね・・・。
ほんと、本当に本物のキャラオタの皆様におかれましては、ごめんなさいね。私は私で、幼少期の幸せな一日ってのを、これからどうもう一度追い求めていくか、再考したいと思います・・・。まる

やっぱり今日も Mobilis in Mobili@2018/5/22tue pm14:50のPA


アウラニ行ってきました!丸2年ぶりの海外パーク(スアンドリゾーツ)だったので私の興奮は最高潮に達した・・・! 最高に楽しかった!!
で、アウラニに行っている間に、WDWのミキミニがニュールックに全面・完全変更になったと聞いたので今日はそれ絡みで短文。

思い返せば上海ディズニーランドのオープニングは2016年の6月16日。もう2年も経っちゃったんだね。それにしても、たったここまでの変更にほぼ丸2年ってちょっと時間かかりすぎじゃない? 上海からアナハイムくらいまでは割とトントン(という程トントンでもなかったけど・・・)だったのに、最後のWDWの変更にはとても時間がかかったから。なんか変えてる途中で内部的か技術的に、大きな問題が発生したんだろうと想像する。そうとしか考えられない。実際、ヘッドのデザインも上海の頃からはだいぶ変わっているしね。

色々あったんだろうなぁと思い馳せつつも、とりあえずはおめでとうございます。かな。2016年初夏からの私の言い分はただ一つ、「可及的速やかに全世界でニュールックに変更すべし」でしたから、2年かかったとはいえ、やっとここまで。
それで私、昨日までニュールックと呼んでいたヘッドは「スタンダード(ルック)」と呼ぼうかと思っている。だってもう、どっからどう見たって舞浜の方がイレギュラーな訳だから。そんで舞浜を「オールド(ルック)」と呼ぶ。または旧ルックでもいい。注意したいけど煽る訳ではない。旧ルックの舞浜での愛され方はちゃんとわかって言っている。

実は、この2年の間も、スタンダードルックについては色々考えていました。どうしてこのタイミングでデザインごと丸ごと変える必要があったのかな、と。どうしてもそれがわからなかった。でもある日すとんと腑に落ちるというか、急に胸の中につかえていたような思いが落ちていった。
「パークは永遠に完成しないし、同じようにミッキーも永遠に完成しない。ディズニーは今日も明日も永遠に、変化をもって変化する」

これは実は、2年前のこのブログでも書いていたことなんだけど。でもなんか、2年経って改めて「変化をもって変化する」っていう言葉の意味が私の心の中にのしかかってきたんだよね。実は私、いまだに Mobilis in Mobili って言葉の意味をよくわかってない。だって私、ラテン語なんてできないしね。日本語に翻訳したらしたで意味自体もちょっとぼんやりしちゃって、掴みどころがない言葉だなぁなんてずっと思ってた。
でももしかして、ディズニーこそが Mobilis in Mobili の体現なんじゃないかなぁ。

大きな時代の流れの中で、時に渦のような勢いの中で、ディズニーはこれからも常に新しい「何か」を追い求めていく。それが使命であり、宿命であり、逆にいうともう二度と歩みを止めることはできない。ディズニーというものが続く限り、変わり続けることからは逃れられないのね。ちょっと想像するだけでも大変な事業だと思う。でもそんなディズニーだから、私は心底好きになったし、その切り拓いていく道を、後からのんびりついて行ってみる気になったんだなぁ。

四半世紀くらいしたらまたパークのミッキーの顔、丸ごと変わってみんな大騒ぎなんだろうな。だって彼も、変わり続けることこそ使命だから。ぼんやりそう思いました。

インフィニティウォー見た @2018/4/27fri pm24:30のPA

アベンジャーズ インフィニティウォーを見てきたよ。

元々私はマーベルコミックスはまったくの専門外で、予備知識ゼロどころか興味もゼロ。
だったんだけど、MCUが2012年にディズニーに買われて、とりあえず「ディズニー」と名のつくものはなんでもつまみ食いしないと気が済まない私は、そっから慌ててマーベルのお勉強始めたのね。
案の定一瞬でMCUの世界にハマって、そっからは毎年の新作映画公開を心待ちにして生きるくらいにはMCUの虜になった。

ぶっちゃけまだコミックスには手を出してないんだけど、原作ヒーローのこともちゃんと調べつつ、一通りマーベル全体の概要がわかるくらいにはなったかなぁって思ってるよ。
最初は、アイアンマンってなに? って感じだったのにねぇ。すごいわ。
日本に住んでるとマーベルヒーローのことなんて、ひとつも触れずに生きていくことは可能だから(アメリカに住んでたら、どんなに興味がなくてもそうはいかないだろうと思うけど)
だから、ディズニーがMCUに関わってくれなかったら、こんなに楽しい事を見逃していたのかと思うと、恐怖と言うか、ゾッとするくらいの気持ちになるね。今はほんと。

ディズニーはいつも私に、新しい喜びを、新世界を、与えてくれる。
マーベル(正確にはMCU)もその大きなひとつだったなぁ。
こういう時はいつも、感謝というか、もう、祈りに近い気持ちになるんだよね。
私にとってディズニーは宗教みたいなもんだよ。もはや信仰。(この神に)ついていけば間違いない、という偶像。

なんかインフィニティウォー見たら、一息ついちゃって。
『あー、ついに私もここまで来ちゃったなぁ〜』みたいな。走馬灯か。
ほんと、マーベルとディズニーには、私が死ぬその日までこの調子でMCU作り続けて欲しいよ。無理かなぁ。無理じゃないでしょ。

【Orbs, Label-Disney】映画COCOにまつわるいくつかの記憶

私の心の中には多分、“ディズニー”と標識の銘打たれたおおきな格納庫がひとつある。
その巨大格納庫の中には、私の幼少期からのディズニーにまつわるメモリーオーブがそれこそ何百何千とぎっしり詰め込まれていて。でもライリーみたいに棚は綺麗に整頓はされていないだろう。足の踏み場のないくらい格納庫はぐちゃぐちゃで、私自身、そこに何のオーブを何個詰め込んじゃったのかはよくわかっていない。

“ディズニー”とラベリングされたその格納庫の扉を開けるとき、私はいつも、少しだけ切ない。
大事なメモリーオーブをふいに足元に見つけて手に取ると、私はこっそりと泣き出してしまいたいような、でもやっぱり最後には微笑んでしまうような、そんな、なんとも言えない気持ちになる。
そんな時、私の中のジョイとサッドネスは抱き合っているのかな。とても複雑で特別な甘い感情に包まれる。

そんなこんなで今週、二年ぶりに「想像国際空港」を弄っていたら、そのラベル“ディズニー”の扉から、あれもこれも引っ張り出してみたくなった。でも前述通り、何が飛び出して出てくるのかは私にもわからない。
だからこれから、ふと思い出した時には、ちょっとずつここに書いていきたい。
ブログ用にひとつテーマを作ってみる。タイトルは、【Orbs,Label-Disney】 
かおりのエモディズニーシリーズの一環です。

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先日、Pixarの最新映画Cocoを見た。今日書くのはその時の話。
映画のネタバレにもちょっとだけ触れてしまうと思うので、未見の方は読まないでください。

本題ここから。
話の入り口はちょっと突飛だけど、私は7年前に実母を亡くしている。

母の享年は六十代前半だった。
一般的に言っても「早逝ね」「若くして亡くなってかわいそうにね」という年齢でもなかったけど、かと言って「大往生ね」という年齢では決してない。
私にとっては唯一のような肉親であり、最愛の母だったから、母を亡くしてしばらくは精神的にまぁまぁしんどい時期が続いた。
母を亡くしたその当時、成人どころかもうとっくに三十を過ぎていた私だったけど、それでもやっぱりしんどかった。
(あぁ、私をよく知る人には「またその話」ってなっちゃうかな・・・。自分でも嫌になるんだけど。でも私は、またか、のこの話を、この先も死ぬまで繰り返して生きていくしかないのだろうと覚悟している。よかったら(よくないけど)時々は付き合って欲しい。)

母を亡くしてしばらくの間は、私はふとした瞬間に母のことを思い出しては涙することがよくあった。
仕事中に泣き出すとかもしていたし、何かの瞬間に、亡くした母の面影を感じては一人でこっそりと流れる涙を拭った。
今思い返せば、単純にロスってただけなんだけど。
当時はその喪失感に向き合うのに精一杯で、辛いもんはどう頑張ってもつらかったからよく泣いていた。

それから7年経って、話は今現在に飛ぶ。
紆余曲折あって母を亡くしてしばらく経ってから私は結婚して、今、子供を産んだ。
そうこうしているうちに、母を亡くした悲しみに浸ることは時々になって、そこからさらに思い出すことすらほんのたまにになって。今じゃ泣くのすら年に一回くらいになったかなぁ。
たった7年前までは母を思っては、あんなに毎日泣いていたのに。
悲しみを癒すのは「時間薬」って、昔の人も上手いことを言ったなぁと思う。私の場合はだけど、薬はよく効いた。

それで先月、映画Cocoを見に行った。
映画を見た人ならわかると思うんだけど、親子の別れや癒えない喪失感なんかもうまく盛り込んでて、とてつもなくエモーショナルな作品だったよね。
わたし、映画を見ている最中から見終わってもずっと、頭の中にはこの間産んだ自分の赤ちゃんのことがぐるぐると回っていた。
Cocoとお父さんのシーンとか、私きっと、スクリーン自体はよく観ていなかったと思う。
子の笑顔の事だけ考えていた。

その事に気が付いたのは、映画を見終わって帰宅して、夕飯に家事にお風呂もすっかり済ませて、さぁ寝ようかと床についた時だった。
『私、Cocoを見て、お母さんのことを一瞬すら思い出さなかった…….!!』
自分の冷たさに愕然とした。
あんなに辛い別れだったのに、もう忘れてしまったの!?
だって、映画のテーマ自体が親子の事そのままだし。それを観て、お母さんのことを思い出しもしないって、どういうことなんだ!
実母のことを忘れてしまっていた自分に酷いショックを受けた。

そして急に思い出した。
それは、私の祖母が亡くなった時の話。
私の祖母、つまり、私の実母の実母が亡くなって数年経ったある日、私は母に聞いたことがあるの。
「おばあちゃんが死んじゃって、寂しくない? また会いたいと思ったりするの?」って。
そうしたら母はこう言った。
「かおりと◯◯(私の妹)が居るから、寂しいと思ったことはない。思い出すこともあまりないのよ。もうかおりが居るからね。」
ふーん…
『冷たいこと言うんだな』
当時私はそう思った。
だって私は、一番大好きなお母さんが死んじゃったら、生きていけないくらい辛いだろうから。
一番好きなお母さんのことを思い出すこともしないなんて、絶対絶対ないよ。
どうしてお母さんは、おばあちゃんのことをもう忘れちゃったみたいに言えるんだろう・・!

だけど今。2018年。たった7年ですっかり私、自分の子供の事だけで頭いっぱいになってしまって。
だって子があまりに愛しくて。可愛くて。大好きで。最高だから。
映画見ながら、私を産んでくれた最愛の母のこと忘れちゃうくらいに、我が子に夢中になっちゃった。

でも。
そっか、お母さんもそうだったんだよね。
今になったらわかったよ。
もし、お母さんが生きていてCocoを見たら、いつか話していたようにおばあちゃんのことは思い出さなかったろう。
きっと一番に私のこと、思い出してくれたよね。

命の不思議な巡り。
「一番大好き」だった人が、いつの間にか変わっていってしまったことを、私は悲しむ必要はないだろう。
愛も、想いも、思い出も、私が知らない創世の時代からこんな風に順番に、順繰り順繰り巡ってきたのだろうか。
そして私が知ることもないだろうこの先も、巡り続けて行くのかな。

祖母から母へ、母から私へ。私が受け取った愛のバトンはいつの日か私の手を過ぎ去って、きっと二度と私の手に戻ってくることはない。
でもそれが、不思議な命の巡りなのね。

ほんと人の命って愛って、不思議よね。私に分かる日なんてくるのかしら。
全く、心底わからんもんだよね。

余談・・・
思いつきのまま書き殴ってみたが。
たまたま今回の思い出話は私の体験について書いたから、私の祖母、母、私、そして、私の子供と、続いていく血の系譜をCocoに重ねて、私の思いを綴ることになっちゃったけど。
でも私自身は、Cocoの中で描かれた血の系譜だけを重要視することには警戒したい。

別に、家族が養子だろうが里親だろうがステップファミリーだろうが、人を愛する時に血の類似性やその濃度は関係ない、ってこと。
血の繋がらない恋人やパートナーや友人、それこそペットや、血よりも深く繋がれた人間じゃない「何か」との愛、それら愛の強固さには血の一滴も関係ない。絶対に。
だってさぁ、もう2018年だよ!
今更、「ハートフル家族の絆♡」って代々の血縁系譜の強さを謳われても、、、ぶっちゃけ若干使い古し感。
まぁそれが今回の映画のテーマだから、と言われたら何も言えないんだけど。

それに、一族の血の結束の祝福は、裏を返せば血で縛られた呪いだよね。
実際、冒頭でミゲルが歌を禁じられた苦しみは、もう血の呪いとかしか言いようがない。
家族、そのなかでも特に親と子って、時に一番残酷な束縛にもなり得るから。束縛通り越しちゃって呪縛みたいになってる親子関係パターンとかよくあるし・・・。
だからまぁ、今私が書いた私自身の愛の話も裏っ返せば、逃れられない、最悪最強の呪いになりうる、ということは(自分に対して)忠告しておきたいです。

ということでCocoについてはまだ言いたいことはなきにしもあらずなんだけど、とりあえず今日私が言いたかったことは書き終わったので、話はここで終わりにしたいと思う。
最後に自戒として余談書いちゃったから興醒めだけど、私はCoco好きですよ!! 音楽最高だしね。
(でもどうしてもこの余談は同時に書かなければならなかったのね。強すぎる愛は常にまた、歪んだ呪いと紙一重なのだから。)

ちなみにここには全然関係ないんだけど。血どころか種族すら超えた真の愛と友情を語る、The Good Dinosaurの美しさを、私は今一度評価し再確認したいと思ってますよ(←最近になって急にめちゃくちゃ推してるらしい) これはまたどっかのチャンスで別記事にて褒めます。

今後の更新について@2018/4/21sat pm22:00のPA

「想像国際空港」の今後の更新について書き留めます。

ひとまず肩慣らしとして、ブログ「コックピットから失礼!」のみを随時更新していきます。
ディズニーにまつわる日々の雑感や、KAORIの体験したことのミニメモです。
しばらくの間、更新するのはこのページのみになる予定です。
http://flyimagination.com/category/fromthecockpit/

合わせて、崩れてしまっているサイトの体裁を直していきたいと思います。
いくつかアップした古い記事も修正します。
また、一つだけ書きましたディズニーのピンについての記事も、情報がかなり古くなってしまっているので新たに書き直す予定です。
サイトの修正に当たって、リンク切れやデザインの崩れなどが起ると思います。大目に見てやってください。

生活が落ち着きましたら、メインコンテンツであるターミナル1、2、3にて、過去のディズニー旅行記について本格的に書いてまいりたいと思います。
が、着手には時間がかかる見込みです。

もともとこのサイトはディズニーの情報サイトではなく、一個人の思い出ブログとして成立させる予定でした。
当初の予定通り、時間はかかっても私の思い出帳として、少しずつ更新していけたらと思います。

私の空白の二年(灯はまたともる)@2018/4/21sat pm20:00のPA

2010年以前から長らくの間、ワタクシKAORIのイマジナリーフレンドのような存在だったこのWebサイト、「想像国際空港」
曖昧だった構想だけの存在が、夫の助けもありついに形となったのが2016年3月。
季節は春、ピカピカにひかる私だけの「想像国際空港」のトップページを眺めながら、いよいよこれから沢山更新するぞ!と意気込んだその瞬間、私の妊娠が判明。
これを書いている今は2018年の4月下旬だが、約二年間、趣味のことを考える時間も余裕もなく、私の二年は育児という名の闇に消えた。
二度目の春が今また終わる。

話は逸れるが、元来私は人間としてのあらゆる基本能力が低い。
それは学力の低さを指すだけでなく、効率的な行動、倫理的な思考についても同じで。
一言で言うと、マルチタスクができない。何でって、基本能力が低いから。すぐにキャパオーバーになってしまう。
きっと他の人ならもうちょっと上手く両立できるんじゃないかってことでも、マルチタスクができないから目の前の事に向かうだけで頭いっぱいになってしまうの。別のこと二つ同時にとかできないし。
それで、2016年の春から、妊娠、出産、そこからの育児のことで頭いっぱいになってしまって、自分のことを考える余裕もなかった。
ましてや趣味の事を考えるなんてとてもとても。
つらかった。

過去、私の半生を思うと、様々なライフシーンがあった。
その中には、若くてお金が無かった時代、逆にお金があっても時間が無かった時代、お金も時間も気力も無かった時代、様々にあったが。
全て満たされることはなくても、私はどんなときも必ず「自分の趣味」に打ち込んできた。
打ち込む対象はその時々で違って、アニメや漫画やカメラに読書、創作活動やディズニー、色々あったけれど。
お金がないならないなりに、できる範囲で夢中になれる事を追求したし、時間がないならないなりに、自由になるお金を少ない時間の中で使ったり。
気力がなくても、何とかやりくりしながら私なりの情熱を燃やし続けてきた。
私は、私の人生の中で、趣味への情熱を失ったことなんて一度もなかった。
だって、その情熱だけが私自身であったから。

でも、初めて立ち向かう妊娠、出産、育児は、基本能力低めな私にはあまりにヘビーで。
私の心の中心にある唯一の情熱、「自分の趣味」への興味を一発で失わせた。
情熱がなくなる。
興味を失う。
人生の中でも経験がなかったそれら無感情がとにかくつらくてしんどかった。

私の空白の二年。
ディズニーへの想いも完全に消えていた。
そして今、あれから二度目の春が今また終わりに近づいて、私の心の中の情熱が、再びジワリと灯り始めている。
ディズニーってやっぱり素敵。
ディズニーのこともっと知りたい。
何が起きているの、何が起きるの。それはどんなに素敵なことなの。
こんな気持ちになれることが、今は一番嬉しい。

「想像国際空港」 本日、約二年ぶりの更新となりました。
サイト立ち上げ直後から停止状態となったため、これからもう一度サイトの修正を行なっていきます。
自分の時間が思うように取れないため、時間はかかると思います。リンク切れやデザインの崩れなど、少しずつ直すのでどうぞ大目に見てやってください。
もとよりここは、私の想像の箱庭のつもりでした。
誰のためでもない、私のための私だけの箱庭。
また少しずつ、一人で遊んでいきたいと思います。

そう言えば二年前、このサイトを作った時、なんか気取ったキャッチコピーをつけたいなと考えたコピーがあります。
「もう一度、そう、何度でも。イマジネーションと飛び立とう。」
今はなんだかんだ言って豊かな時代です。
お金がなくても時間がなくても、どんな時でもイマジネーションさえあれば、自分一人くらいは心底楽しく遊べるんじゃないかな、と思ってつけたものです。
何度でも何度でも。ディズニーのイマジネーションと共に愉快に過ごす。
またどうぞよろしく。