好きってことが生きる歓び@2018/6/2sat pm23:00のPA

何個か前のブログで、勢いに任せてOLCをdisっちゃったけど。いや、ほんと今読み返してみたら「愚痴れるって素晴らしい!!」ってこと!!

しつこいけど私、ここ一年半くらいあまりに無気力というか、「無」そのもので、ディズニーに興味持つことすらできなかったんだよね。ディズニーのことなんて心底どうでもよかったの。だから、愚痴ることすらできなかった。
どうしようもない愚痴をブログに垂れ流したけど、やっとこんなに元気出てきたんだ、元気いっぱい愚痴れるような調子に戻ってきたんだ、ってことが本当に嬉しい。
だって愚痴って体力使うもん。というか、良かれ悪かれ感想が出て来るほど何かに興味を持つのって、知らずのうちに膨大なエネルギーを使ってるんだよね。

話ずれるけど、ここ数日、私の中のDLP回帰モードのスイッチが完全に入っちゃってて、あぁ、考えるたびにまた行きたいなぁ、ディズニーランドパリ・・・、恋しいなぁ。あぁ。またため息。また。また。またまたまた溜息。
切なくて切なくて、パリのことを思い出すたびに胸が千切られそうだけど、同時に感じるのは「あぁ、私、生きてる・・・!!素敵!」ってこと。
ディズニーランドパリのことが好き。ディズニーが大好き。そう思える瞬間にだけ、私の精神は生きることが許されている。
そして思うのは生きることの本質について。つまり生の歓びってこと。

ディズニーっていいよなぁ。一度すっかり心の中から失ってしまったから逆に、「ただ心のに中に有る」というだけの、でもその偉大なまでのありがたみを思い出せた気がする。ありがとう。
今日も明日も、愚痴ったり好きになったりしながら、死ぬその日までディズニーと共に生きていきたい。

決意新たに。ありがとうございます。(完全に宗教)

今日の話とは全然関係ないんだけど、たまたまライトルームに出てきたのが可愛いから貼ってみた! パジャマコスもまたいつか会うチャンスがあったらいいなぁ。好き!

ディズニーランドパリに恋してる@2018/6/1fri pm23:30のPA

多分もうずっと、ディズニーランドパリに恋してる。

世界中のディズニーパークスに行って、そのどれもが最高に素晴らしかった。だからどこが一番いいかなんて単純には決められない。きっと真面目に一年悩んだって、答えは出せないと思う。
でももし、たった今誰か、神様みたいな人に、「どこでも好きな所に行っていいよ」って言われたら、もしかして私はディズニーランドパリを選んでしまう。かもしれない・・・。自分でも理由はよくわからない。でもなんとなくディズニーランドパリが好き。ずっとずっと好き。

実は、仲の良い友達にはポツリポツリと話したことがあるけれど、私はディズニーランドパリのキャストから人種差別というか、明らかに侮蔑されたことがある。私は英語ができないので、その時はとっさに受けた侮辱を私の勘違いだということにして、変に笑ってやり過ごしてしまった。(今思えばそうやってヘラヘラ返すから馬鹿にされるんだよな。失敗だった。)
あと、本当にこれはトラウマというか、いつかこのブログでも乗り越えなきゃいけない私の中の課題のひとつなんだけど、パリのキャラクターから身に覚えのない嫌がらせを受けたことが一度だけある。おそらく、私を誰か別の東洋人と勘違いしたのだろうか。「グリーティングの拒否」という謂れのない仕打ちを受けた。しかもそのキャラクターは私の大のお気に入りキャラクターだったので、私はあまりのショックにその後しばらくそのキャラクターとのグリができなくなってしまう、ということがあった。
まぁ今思い返せばどちらもとんだ笑い話なのだけど。当時はショックすぎて、誰にも話せずひとりで悶々としていたことを思い出す。

そんなこんなで、どうして今急にこんなことを書いたかというと、決してディズニーランドパリが私にとって甘い思い出ばかりではない、ということ。どちらかというと、タイミングというか相性は悪くて、狙ったイベントや譲れない駒を取り逃がしてばっかりのパークだった。こんな酷い仕打ちも受けたしね。

それでも。なんだか今無性に恋しくて、恋しくて、今すぐにでも飛んで行きたい。この恋い焦がれるような焦燥感、夢にまで見そうな、瞼の裏に残り続ける残像のような。ディズニーランドパリ。
そりゃアナハイムやWDWや、他のパークだった行きたくて仕方ないけど、こんな焼けるような胸の痛みを感じたことはないなぁ。

どうしてディズニーランドパリだけこんな風に感じてしまうのだろう。不思議。ずっとずっと不思議。あー。これって絶対、恋、だよね・・・。違いないわ。

Twitterオワポ@2018/5/20tue pm20:00のPA

Twitter辞めたんですけど。
超久しぶりに一言書いてみたら予想以上に反応を返す人がいて、前ってこんなだったかな?!ってびっくりしてしまった。呟き自体は大した内容でもなかったのに。

それでふと思いついたんだけど、超個人的にTwitterがめちゃくちゃつまんなくなっちゃった原因がまさにここにあるんじゃないかなと思って、思いつきを簡易メモしておく。

①RTといいねの文化が成熟期を通り越して末期になってきているんじゃないかなと思った。TL上では延々と、自分の頭で考えるよりも先に、自分の言葉で発言するよりも早く、知らない誰かの意識が自動的に流れ込んでくるでしょ。それをワンクリックする(RTやいいねする)だけで、まるで自分がそれを発言したかのような快感作用がRT者の脳内に生まれてしまうんじゃないかな。
私の気のせいかもしれないんだけど、なんかここにきてRTやいいねが、単純なシステム上のRTやいいねの意味を超えて、「オレも、私も、たった今同じことを言おうと思っていたんだよねー!」というような。だめだ、上手く表現できないんだけど、「その発言の代弁者でありたい」というような願望まで感じてしまったんだよね。気のせいなんだろうか。

②そんで次の段階。RTに関して私はこう思うんだけども。もし、RTする人が、回ってきたRTと同じことを思っているのなら、全く同じ内容であってもRTするよりかはおんなじことを発言すれば良いんだと思うの。でも、今のTwitterの文化がそれを許さないよね。タイムスタンプが1秒でも早い方がその発言の価値を総取り。似たようなことを言ったら「パクリ」「◯◯さんの後追い」「おんなじ事言ってる人いますよ」って言われちゃう。もしくはノイズ扱い。余計な事言うと検索の邪魔だからRTする以外は黙っててよ、あんたの意見なんか聞いてないよ、って最近のTwitterの暗黙ルール。

③よって、自分の言葉を知らずに押し殺していく。RTやいいねをクリックするだけの共感マシーンと化する。すると毎回RTやいいねを稼ぐ特定の有名垢だけが、さらに拡散されていく。そんで最初の①に戻る。RTする人は発言を押し殺しているつもりはなくても、自分が言っているんだという脳内麻薬は出てるし、イイキモチにはなっちゃう。でも実際は有名垢のRT稼いでるだけ。そんでまたそっから②と③の繰り返し。

発言の多様性もクソもなし。Twitterオワポと思うんですが、どうなんでしょ。この悪循環を脱する道があんまり見えてこない。まぁ単純に私が、RTってなーんも面白くねぇなぁ、そんなクソなお手軽RTで言った気になるくらいなら、クソでもいいからお前の魂の言葉を一言でもいいから聞かせろよ!って思ってるせいで、こんな風にしか捉えられないのかもしんないんだけど。すみませんね。

これ、五分で書いたから意味通じるか心配。通じてる???

2018/5/28mon pm13:00のPA

TDSのファッショナブルイースター2018年版を見た。
ショーの全体通じて、ひとつのストーリーとして体をなしてない。あまりに酷くて驚く。
物語の起承転結の体裁すら守ろうとしていないし、もう物語を語ろうということすら放棄している。見ていて自分の日本語能力が崩壊したのかと不安になるレベルだった。

別に、ファッションショーをやるならファッションショーやるんでいいと思う。ファッションショーは最初から「物語」ではないからね。キャラやダンサーが着替えて、踊って、とっても綺麗ね! それでいいんだよ。
でも一応これ、OLCはファッションショーではなくハーバーショーを作っている(つもりな)んだろうし、、、何を考えているのかさっぱりわからず見ているこっちの精神が崩壊しそう。

普段私は、ディズニーのコンテンツの批判を口にしないようにしている。家族や仲間内には時々愚痴みたいな形で漏らすけど。でも、私の感想なんてネットに残すほど大した批判でもないし、素人の批判なんて意味がないしね。
それにどんなに酷い作品でも、失敗作でも、ディズニーがやったことは絶対に未来の礎にはなるんだ。そう信じている。そう信じたい。私は、新しく踏み出したその一歩だけでも褒め称えたい。

でもさぁ・・・ ちょっとこれはさぁ、、、 反省した方がいいよOLCは。新しく踏み出した一歩もクソも、そもそもこれ再演だし。こんな崩壊した改悪版晒すくらいならまだ過去作そのままでよかった。
OLCはいい加減に目を覚ますか、いっそもう、ショーを作る能力は我が社にはありませんって放棄して、はじめっからファッションショーやってればいいと思う。人に見せられるレベルの出し物じゃないよこれ。猛省せよ。

とどのつまり本物のキャラオタじゃなかった@2018/5/22tue pm20:30のPA

書こうかどうしようか一週間は悩んだんだけど、十年後に読みたくなる気がしたので書いておく。書いておこう。

話が長くなるけど、私の周りのディズニーオタク達が総じてブレなさすぎてヤバイ、という導入部分から書く。
「物心ついた時にはもうミッキーが好きでした」とか、「年パス初年度から持ってます」とか、「もうかれこれ三十年以上TDL追ってます」とか(東京ディズニーランドできてまだ35年なんだけど??!^^;)
「毎週末インパしてます」ってのはまぁわかるんだけど、だいたい就職とか結婚とかで5年10年で一区切りつくんだよね。でももうそんな生活20年近くやってます、とか。
夫に到っちゃ四半世紀ディズニーの情報追っかけて、その生活スタイルこの25年でびた一文変わってみたいだし・・・。
・・・・・・。
なんかもう、本当に好きなんだよなぁ・・・。

翻って私なんだけど、2005年に憧れの共通年パ買ったはいいけど、二、三年であっさりリタイア。ちょうど爆発的にDオタが増えてきた時代で、地蔵もインパも過酷すぎてこんなところ遊ぶところじゃねーよ!とばかりに海外に逃避。
そっから海外メインにミキミニオタ始めたけど、今2018年でしょ、十年ちょっと経って、なんか私、本当にキャラオタだったのかな? 本当に本当の意味でミキミニが好きだったのかな?? いや、違くね・・・って、いや今更だけどおぉ・・・。

結局のところ、私のディズニー好きの原点っていうのが、まだ子供だった頃に家族3人で行ったディズニーランドでの1日、「一年で一番幸せな一日」ってのが大元なんだよね。それが根元のテーマなわけ。
2005年にディズニーオタクを初めて、結局ずっと追い求めていたのはキャラクターそのものではなくて、その幸せな一日の復興だったんだよね。その手っ取り早い表現というか、具現化したものがミッキーとミニーのキャラクターが表現する “LOVE” だったわけ。
だから私昔っから、キャラオタだけどミキミニがセパレートになるともう興味無くしてた。なんでって、ミキミニ二人の間に生まれる完全なるハーモニー=愛を追い求めていただけだから。セパレートだとノーハーモニーでしょ。
こういう話は仲のいい友達には何度か話たし、確かTumblrにも書いたし、薄々というか、ずっと内心気がついてはいたんだけど。でもここにきて、「あー!やっぱり私、本物のキャラオタにはなれなかったよー!!」という叫びなのでした。ちゃんちゃん。

大事な事なんでもう一回繰り返して書くけど。
とどのつまり私、私の周りの本当のキャラオタみたいに、キャラクター自体を愛していた訳ではなかった。幼少期の思い出の投影としての、偶像のミキミニちゃんを心に描いていただけだった。
なんかもう自信なくなったから、これからはキャラオタ自称するのはやめて、キャラファン、くらいに留めようと思います。今後はね・・・。
ほんと、本当に本物のキャラオタの皆様におかれましては、ごめんなさいね。私は私で、幼少期の幸せな一日ってのを、これからどうもう一度追い求めていくか、再考したいと思います・・・。まる

やっぱり今日も Mobilis in Mobili@2018/5/22tue pm14:50のPA


アウラニ行ってきました!丸2年ぶりの海外パーク(スアンドリゾーツ)だったので私の興奮は最高潮に達した・・・! 最高に楽しかった!!
で、アウラニに行っている間に、WDWのミキミニがニュールックに全面・完全変更になったと聞いたので今日はそれ絡みで短文。

思い返せば上海ディズニーランドのオープニングは2016年の6月16日。もう2年も経っちゃったんだね。それにしても、たったここまでの変更にほぼ丸2年ってちょっと時間かかりすぎじゃない? 上海からアナハイムくらいまでは割とトントン(という程トントンでもなかったけど・・・)だったのに、最後のWDWの変更にはとても時間がかかったから。なんか変えてる途中で内部的か技術的に、大きな問題が発生したんだろうと想像する。そうとしか考えられない。実際、ヘッドのデザインも上海の頃からはだいぶ変わっているしね。

色々あったんだろうなぁと思い馳せつつも、とりあえずはおめでとうございます。かな。2016年初夏からの私の言い分はただ一つ、「可及的速やかに全世界でニュールックに変更すべし」でしたから、2年かかったとはいえ、やっとここまで。
それで私、昨日までニュールックと呼んでいたヘッドは「スタンダード(ルック)」と呼ぼうかと思っている。だってもう、どっからどう見たって舞浜の方がイレギュラーな訳だから。そんで舞浜を「オールド(ルック)」と呼ぶ。または旧ルックでもいい。注意したいけど煽る訳ではない。旧ルックの舞浜での愛され方はちゃんとわかって言っている。

実は、この2年の間も、スタンダードルックについては色々考えていました。どうしてこのタイミングでデザインごと丸ごと変える必要があったのかな、と。どうしてもそれがわからなかった。でもある日すとんと腑に落ちるというか、急に胸の中につかえていたような思いが落ちていった。
「パークは永遠に完成しないし、同じようにミッキーも永遠に完成しない。ディズニーは今日も明日も永遠に、変化をもって変化する」

これは実は、2年前のこのブログでも書いていたことなんだけど。でもなんか、2年経って改めて「変化をもって変化する」っていう言葉の意味が私の心の中にのしかかってきたんだよね。実は私、いまだに Mobilis in Mobili って言葉の意味をよくわかってない。だって私、ラテン語なんてできないしね。日本語に翻訳したらしたで意味自体もちょっとぼんやりしちゃって、掴みどころがない言葉だなぁなんてずっと思ってた。
でももしかして、ディズニーこそが Mobilis in Mobili の体現なんじゃないかなぁ。

大きな時代の流れの中で、時に渦のような勢いの中で、ディズニーはこれからも常に新しい「何か」を追い求めていく。それが使命であり、宿命であり、逆にいうともう二度と歩みを止めることはできない。ディズニーというものが続く限り、変わり続けることからは逃れられないのね。ちょっと想像するだけでも大変な事業だと思う。でもそんなディズニーだから、私は心底好きになったし、その切り拓いていく道を、後からのんびりついて行ってみる気になったんだなぁ。

四半世紀くらいしたらまたパークのミッキーの顔、丸ごと変わってみんな大騒ぎなんだろうな。だって彼も、変わり続けることこそ使命だから。ぼんやりそう思いました。

インフィニティウォー見た @2018/4/27fri pm24:30のPA

アベンジャーズ インフィニティウォーを見てきたよ。

元々私はマーベルコミックスはまったくの専門外で、予備知識ゼロどころか興味もゼロ。
だったんだけど、MCUが2012年にディズニーに買われて、とりあえず「ディズニー」と名のつくものはなんでもつまみ食いしないと気が済まない私は、そっから慌ててマーベルのお勉強始めたのね。
案の定一瞬でMCUの世界にハマって、そっからは毎年の新作映画公開を心待ちにして生きるくらいにはMCUの虜になった。

ぶっちゃけまだコミックスには手を出してないんだけど、原作ヒーローのこともちゃんと調べつつ、一通りマーベル全体の概要がわかるくらいにはなったかなぁって思ってるよ。
最初は、アイアンマンってなに? って感じだったのにねぇ。すごいわ。
日本に住んでるとマーベルヒーローのことなんて、ひとつも触れずに生きていくことは可能だから(アメリカに住んでたら、どんなに興味がなくてもそうはいかないだろうと思うけど)
だから、ディズニーがMCUに関わってくれなかったら、こんなに楽しい事を見逃していたのかと思うと、恐怖と言うか、ゾッとするくらいの気持ちになるね。今はほんと。

ディズニーはいつも私に、新しい喜びを、新世界を、与えてくれる。
マーベル(正確にはMCU)もその大きなひとつだったなぁ。
こういう時はいつも、感謝というか、もう、祈りに近い気持ちになるんだよね。
私にとってディズニーは宗教みたいなもんだよ。もはや信仰。(この神に)ついていけば間違いない、という偶像。

なんかインフィニティウォー見たら、一息ついちゃって。
『あー、ついに私もここまで来ちゃったなぁ〜』みたいな。走馬灯か。
ほんと、マーベルとディズニーには、私が死ぬその日までこの調子でMCU作り続けて欲しいよ。無理かなぁ。無理じゃないでしょ。

【Orbs, Label-Disney】映画COCOにまつわるいくつかの記憶

私の心の中には多分、“ディズニー”と標識の銘打たれたおおきな格納庫がひとつある。
その巨大格納庫の中には、私の幼少期からのディズニーにまつわるメモリーオーブがそれこそ何百何千とぎっしり詰め込まれていて。でもライリーみたいに棚は綺麗に整頓はされていないだろう。足の踏み場のないくらい格納庫はぐちゃぐちゃで、私自身、そこに何のオーブを何個詰め込んじゃったのかはよくわかっていない。

“ディズニー”とラベリングされたその格納庫の扉を開けるとき、私はいつも、少しだけ切ない。
大事なメモリーオーブをふいに足元に見つけて手に取ると、私はこっそりと泣き出してしまいたいような、でもやっぱり最後には微笑んでしまうような、そんな、なんとも言えない気持ちになる。
そんな時、私の中のジョイとサッドネスは抱き合っているのかな。とても複雑で特別な甘い感情に包まれる。

そんなこんなで今週、二年ぶりに「想像国際空港」を弄っていたら、そのラベル“ディズニー”の扉から、あれもこれも引っ張り出してみたくなった。でも前述通り、何が飛び出して出てくるのかは私にもわからない。
だからこれから、ふと思い出した時には、ちょっとずつここに書いていきたい。
ブログ用にひとつテーマを作ってみる。タイトルは、【Orbs,Label-Disney】 
かおりのエモディズニーシリーズの一環です。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先日、Pixarの最新映画Cocoを見た。今日書くのはその時の話。
映画のネタバレにもちょっとだけ触れてしまうと思うので、未見の方は読まないでください。

本題ここから。
話の入り口はちょっと突飛だけど、私は7年前に実母を亡くしている。

母の享年は六十代前半だった。
一般的に言っても「早逝ね」「若くして亡くなってかわいそうにね」という年齢でもなかったけど、かと言って「大往生ね」という年齢では決してない。
私にとっては唯一のような肉親であり、最愛の母だったから、母を亡くしてしばらくは精神的にまぁまぁしんどい時期が続いた。
母を亡くしたその当時、成人どころかもうとっくに三十を過ぎていた私だったけど、それでもやっぱりしんどかった。
(あぁ、私をよく知る人には「またその話」ってなっちゃうかな・・・。自分でも嫌になるんだけど。でも私は、またか、のこの話を、この先も死ぬまで繰り返して生きていくしかないのだろうと覚悟している。よかったら(よくないけど)時々は付き合って欲しい。)

母を亡くしてしばらくの間は、私はふとした瞬間に母のことを思い出しては涙することがよくあった。
仕事中に泣き出すとかもしていたし、何かの瞬間に、亡くした母の面影を感じては一人でこっそりと流れる涙を拭った。
今思い返せば、単純にロスってただけなんだけど。
当時はその喪失感に向き合うのに精一杯で、辛いもんはどう頑張ってもつらかったからよく泣いていた。

それから7年経って、話は今現在に飛ぶ。
紆余曲折あって母を亡くしてしばらく経ってから私は結婚して、今、子供を産んだ。
そうこうしているうちに、母を亡くした悲しみに浸ることは時々になって、そこからさらに思い出すことすらほんのたまにになって。今じゃ泣くのすら年に一回くらいになったかなぁ。
たった7年前までは母を思っては、あんなに毎日泣いていたのに。
悲しみを癒すのは「時間薬」って、昔の人も上手いことを言ったなぁと思う。私の場合はだけど、薬はよく効いた。

それで先月、映画Cocoを見に行った。
映画を見た人ならわかると思うんだけど、親子の別れや癒えない喪失感なんかもうまく盛り込んでて、とてつもなくエモーショナルな作品だったよね。
わたし、映画を見ている最中から見終わってもずっと、頭の中にはこの間産んだ自分の赤ちゃんのことがぐるぐると回っていた。
Cocoとお父さんのシーンとか、私きっと、スクリーン自体はよく観ていなかったと思う。
子の笑顔の事だけ考えていた。

その事に気が付いたのは、映画を見終わって帰宅して、夕飯に家事にお風呂もすっかり済ませて、さぁ寝ようかと床についた時だった。
『私、Cocoを見て、お母さんのことを一瞬すら思い出さなかった…….!!』
自分の冷たさに愕然とした。
あんなに辛い別れだったのに、もう忘れてしまったの!?
だって、映画のテーマ自体が親子の事そのままだし。それを観て、お母さんのことを思い出しもしないって、どういうことなんだ!
実母のことを忘れてしまっていた自分に酷いショックを受けた。

そして急に思い出した。
それは、私の祖母が亡くなった時の話。
私の祖母、つまり、私の実母の実母が亡くなって数年経ったある日、私は母に聞いたことがあるの。
「おばあちゃんが死んじゃって、寂しくない? また会いたいと思ったりするの?」って。
そうしたら母はこう言った。
「かおりと◯◯(私の妹)が居るから、寂しいと思ったことはない。思い出すこともあまりないのよ。もうかおりが居るからね。」
ふーん…
『冷たいこと言うんだな』
当時私はそう思った。
だって私は、一番大好きなお母さんが死んじゃったら、生きていけないくらい辛いだろうから。
一番好きなお母さんのことを思い出すこともしないなんて、絶対絶対ないよ。
どうしてお母さんは、おばあちゃんのことをもう忘れちゃったみたいに言えるんだろう・・!

だけど今。2018年。たった7年ですっかり私、自分の子供の事だけで頭いっぱいになってしまって。
だって子があまりに愛しくて。可愛くて。大好きで。最高だから。
映画見ながら、私を産んでくれた最愛の母のこと忘れちゃうくらいに、我が子に夢中になっちゃった。

でも。
そっか、お母さんもそうだったんだよね。
今になったらわかったよ。
もし、お母さんが生きていてCocoを見たら、いつか話していたようにおばあちゃんのことは思い出さなかったろう。
きっと一番に私のこと、思い出してくれたよね。

命の不思議な巡り。
「一番大好き」だった人が、いつの間にか変わっていってしまったことを、私は悲しむ必要はないだろう。
愛も、想いも、思い出も、私が知らない創世の時代からこんな風に順番に、順繰り順繰り巡ってきたのだろうか。
そして私が知ることもないだろうこの先も、巡り続けて行くのかな。

祖母から母へ、母から私へ。私が受け取った愛のバトンはいつの日か私の手を過ぎ去って、きっと二度と私の手に戻ってくることはない。
でもそれが、不思議な命の巡りなのね。

ほんと人の命って愛って、不思議よね。私に分かる日なんてくるのかしら。
全く、心底わからんもんだよね。

余談・・・
思いつきのまま書き殴ってみたが。
たまたま今回の思い出話は私の体験について書いたから、私の祖母、母、私、そして、私の子供と、続いていく血の系譜をCocoに重ねて、私の思いを綴ることになっちゃったけど。
でも私自身は、Cocoの中で描かれた血の系譜だけを重要視することには警戒したい。

別に、家族が養子だろうが里親だろうがステップファミリーだろうが、人を愛する時に血の類似性やその濃度は関係ない、ってこと。
血の繋がらない恋人やパートナーや友人、それこそペットや、血よりも深く繋がれた人間じゃない「何か」との愛、それら愛の強固さには血の一滴も関係ない。絶対に。
だってさぁ、もう2018年だよ!
今更、「ハートフル家族の絆♡」って代々の血縁系譜の強さを謳われても、、、ぶっちゃけ若干使い古し感。
まぁそれが今回の映画のテーマだから、と言われたら何も言えないんだけど。

それに、一族の血の結束の祝福は、裏を返せば血で縛られた呪いだよね。
実際、冒頭でミゲルが歌を禁じられた苦しみは、もう血の呪いとかしか言いようがない。
家族、そのなかでも特に親と子って、時に一番残酷な束縛にもなり得るから。束縛通り越しちゃって呪縛みたいになってる親子関係パターンとかよくあるし・・・。
だからまぁ、今私が書いた私自身の愛の話も裏っ返せば、逃れられない、最悪最強の呪いになりうる、ということは(自分に対して)忠告しておきたいです。

ということでCocoについてはまだ言いたいことはなきにしもあらずなんだけど、とりあえず今日私が言いたかったことは書き終わったので、話はここで終わりにしたいと思う。
最後に自戒として余談書いちゃったから興醒めだけど、私はCoco好きですよ!! 音楽最高だしね。
(でもどうしてもこの余談は同時に書かなければならなかったのね。強すぎる愛は常にまた、歪んだ呪いと紙一重なのだから。)

ちなみにここには全然関係ないんだけど。血どころか種族すら超えた真の愛と友情を語る、The Good Dinosaurの美しさを、私は今一度評価し再確認したいと思ってますよ(←最近になって急にめちゃくちゃ推してるらしい) これはまたどっかのチャンスで別記事にて褒めます。

今後の更新について@2018/4/21sat pm22:00のPA

「想像国際空港」の今後の更新について書き留めます。

ひとまず肩慣らしとして、ブログ「コックピットから失礼!」のみを随時更新していきます。
ディズニーにまつわる日々の雑感や、KAORIの体験したことのミニメモです。
しばらくの間、更新するのはこのページのみになる予定です。
http://flyimagination.com/category/fromthecockpit/

合わせて、崩れてしまっているサイトの体裁を直していきたいと思います。
いくつかアップした古い記事も修正します。
また、一つだけ書きましたディズニーのピンについての記事も、情報がかなり古くなってしまっているので新たに書き直す予定です。
サイトの修正に当たって、リンク切れやデザインの崩れなどが起ると思います。大目に見てやってください。

生活が落ち着きましたら、メインコンテンツであるターミナル1、2、3にて、過去のディズニー旅行記について本格的に書いてまいりたいと思います。
が、着手には時間がかかる見込みです。

もともとこのサイトはディズニーの情報サイトではなく、一個人の思い出ブログとして成立させる予定でした。
当初の予定通り、時間はかかっても私の思い出帳として、少しずつ更新していけたらと思います。

私の空白の二年(灯はまたともる)@2018/4/21sat pm20:00のPA

2010年以前から長らくの間、ワタクシKAORIのイマジナリーフレンドのような存在だったこのWebサイト、「想像国際空港」
曖昧だった構想だけの存在が、夫の助けもありついに形となったのが2016年3月。
季節は春、ピカピカにひかる私だけの「想像国際空港」のトップページを眺めながら、いよいよこれから沢山更新するぞ!と意気込んだその瞬間、私の妊娠が判明。
これを書いている今は2018年の4月下旬だが、約二年間、趣味のことを考える時間も余裕もなく、私の二年は育児という名の闇に消えた。
二度目の春が今また終わる。

話は逸れるが、元来私は人間としてのあらゆる基本能力が低い。
それは学力の低さを指すだけでなく、効率的な行動、倫理的な思考についても同じで。
一言で言うと、マルチタスクができない。何でって、基本能力が低いから。すぐにキャパオーバーになってしまう。
きっと他の人ならもうちょっと上手く両立できるんじゃないかってことでも、マルチタスクができないから目の前の事に向かうだけで頭いっぱいになってしまうの。別のこと二つ同時にとかできないし。
それで、2016年の春から、妊娠、出産、そこからの育児のことで頭いっぱいになってしまって、自分のことを考える余裕もなかった。
ましてや趣味の事を考えるなんてとてもとても。
つらかった。

過去、私の半生を思うと、様々なライフシーンがあった。
その中には、若くてお金が無かった時代、逆にお金があっても時間が無かった時代、お金も時間も気力も無かった時代、様々にあったが。
全て満たされることはなくても、私はどんなときも必ず「自分の趣味」に打ち込んできた。
打ち込む対象はその時々で違って、アニメや漫画やカメラに読書、創作活動やディズニー、色々あったけれど。
お金がないならないなりに、できる範囲で夢中になれる事を追求したし、時間がないならないなりに、自由になるお金を少ない時間の中で使ったり。
気力がなくても、何とかやりくりしながら私なりの情熱を燃やし続けてきた。
私は、私の人生の中で、趣味への情熱を失ったことなんて一度もなかった。
だって、その情熱だけが私自身であったから。

でも、初めて立ち向かう妊娠、出産、育児は、基本能力低めな私にはあまりにヘビーで。
私の心の中心にある唯一の情熱、「自分の趣味」への興味を一発で失わせた。
情熱がなくなる。
興味を失う。
人生の中でも経験がなかったそれら無感情がとにかくつらくてしんどかった。

私の空白の二年。
ディズニーへの想いも完全に消えていた。
そして今、あれから二度目の春が今また終わりに近づいて、私の心の中の情熱が、再びジワリと灯り始めている。
ディズニーってやっぱり素敵。
ディズニーのこともっと知りたい。
何が起きているの、何が起きるの。それはどんなに素敵なことなの。
こんな気持ちになれることが、今は一番嬉しい。

「想像国際空港」 本日、約二年ぶりの更新となりました。
サイト立ち上げ直後から停止状態となったため、これからもう一度サイトの修正を行なっていきます。
自分の時間が思うように取れないため、時間はかかると思います。リンク切れやデザインの崩れなど、少しずつ直すのでどうぞ大目に見てやってください。
もとよりここは、私の想像の箱庭のつもりでした。
誰のためでもない、私のための私だけの箱庭。
また少しずつ、一人で遊んでいきたいと思います。

そう言えば二年前、このサイトを作った時、なんか気取ったキャッチコピーをつけたいなと考えたコピーがあります。
「もう一度、そう、何度でも。イマジネーションと飛び立とう。」
今はなんだかんだ言って豊かな時代です。
お金がなくても時間がなくても、どんな時でもイマジネーションさえあれば、自分一人くらいは心底楽しく遊べるんじゃないかな、と思ってつけたものです。
何度でも何度でも。ディズニーのイマジネーションと共に愉快に過ごす。
またどうぞよろしく。