喪失と獲得つまりひとつの死と再生(ジェームズガンがクビになった vol.2)2018/7/21sat 21:00のPA

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今から書くのは自分でも引くくらい底意地の悪いことなので、これ読んだ誰かが炎上させないでくれるといいなと思います。

人が人として生きる上で、大事な何かをひとつも失わずに生涯を生きて行くということは可能なんでしょうか?
私の答えは否。でも時々、その人がまだ若いとか、経済的や環境的にとても恵まれているとかの理由で、「まだ失っていない人」と出会うことがある。そういう人とは、どこか根本のところで話が合わないというか、決定的なズレみたいなものを感じてしまう私がいる。
逆に、なにかを「失ってしまった人」とは、出会ううちにふと共鳴する瞬間があったりする。「共鳴」と表現したその感覚を、ここで正確に言語化することは難しいのだけど、不思議に柔らかいような、暖かい感覚。互いの喪失感が癒しになるというか。はい、やっぱりうまく書けないので、ここはさっくり飛ばしますけども。でも、あるよね、そういうの。ないですか?

それで、さらに言うと、「失った」よりも酷い状態の「喪ってしまった人」ってのも、わかってしまうんだよなぁ。。。多分私自身が、その「喪ってしまった人」だからなのかもしれないけど。発言が厨二病じみてきたので、ここもさっくり飛ばしますね。
で。何が言いたいかというと、ジェームズガンも「喪ってしまった人」なんだよね、ということ。
Guardians of the Galaxy自体が、喪失と獲得の物語であるし、それは監督自身の体験をベースにしているんだろうなというのは、監督の半生をよく知らなくても容易に想像ができるところです。

ここで話が飛びます。
宇多田ヒカル。彼女もまた、「喪ってしまった人」だと思ってます。
それでかなり前の話なんですけど、私、会ったこともない彼女に、酷いと言うにもひどすぎる、残酷な思念を抱いたことがあるんです。
ドン引きしないで聞いて欲しいんですけど、「宇多田ヒカルに喪ってほしい」という、まぁ、酷いですね。自分で書いててドン引きです。もちろんその思念を抱いた直後に、自分で、あ、これヤバイ、と思いました。人として頭どうかしているので。もちろん考えを打ち消そうとしましたよ。でもなんか・・・思っちゃうんですよね。

なぜこんな酷いことを彼女に対して思ってしまったかというと、彼女の喪失から生まれる音楽が素晴らしすぎるからです。
特に彼女の場合は、彼女に訪れた喪失と獲得のプロセスがダイレクトに音色と詩に化けますから。あれは喪失と獲得の音色というか、ひとつのメロディと詩に包まれた、死と再生そのものなんですよね。
ま、宇多田ヒカル神の前に私の語彙力はゼロに等しいのでこの辺にしときます!
長々書きましたけど、宇多田ヒカルの作品を愛するが故に、彼女に何かを喪ってほしいなんて、彼女の不幸を一瞬でも願ってしまった訳です。はい。私は人でなしなのだと思います。

で、今なんですけど、似たようなことをガンに対して思ってしまった。あ、やばい。
でも、今日、死と喪失に接した(接してしまった)彼の、再生の物語を見てみたい。GotGはもう無理だろうから、全然別の物語でいい。ただ「喪ってしまった」彼の作品がまた見たい。
まぁそれが今後世に出るならば、の話なんですけどね。出るのかな?いやー、まさかこのまま業界的に抹殺されてしまうのでしょうか・・・。素人の私にはよくわからない。

あーあ。こんなことを赤の他人どころか、ただの消費者に思われちゃうなんて、クリエーターなんてなるもんじゃないね。人に不幸を願われるなんて、私は真っ平御免。

なんかほんと、すみません。