【ミニコラム】クッキーちゃんの「これでいいのだ!」(メインタイトル:無垢であるということ)

ºoº この記事はおおよそ 4 分で読めます ºoº

LINK: Duffy 新朋友 Cookie 今登場 三百粉絲迎萌友 – Hong Kong Main Street Gazette丨大街小報 – HKMSG

ダッフィーの最新フレンズであるクッキーちゃんが、昨日(2018/7/3)香港ディズニーランドにて正式デビューしました。おめでとうございます!

クッキーのライブキャラクターデビューの瞬間は、Facebookの米通ページ上でリアルタイム動画配信されました。
私は自宅にて、そのリアルタイム動画配信を視聴。HKDLのクッキーちゃんに向けたガチの気合いを肌で感じることとなりました。HKDLすごい盛り上げ方だなぁ。

さて、イラストではないリアルなクッキーを見た私の率直な感想なんですが、「これ、もうちょっと可愛くできたのでは?」と思ってしまった。素直に。
いや、可愛くない、とは言わない。でもバランスが悪いよなんか。クッキーのイラスト上のキャラデザもキャラクター設定もとてもいいのに、リアルになると何かが惜しい。
このプロジェクトを主導したのがHKDLなのか、ディズニー本社なのかは知らないけど、なんやかんや事情あって大慌てで作ったのかな〜?なんてゲス勘ぐりまでしてしまった私。
ジェラトーニとステラルーに感じた、OLCがお金も時間もかけてじっくり商品開発したんだろうな、的な熱量を感じなかったんですよね。

そんなことを考えていたら周りの反応が気になっちゃって、やめたはずのTwitterでDオタ(舞浜勢)の反応をチェックしてしまった。
7:3くらいで「可愛くない」の声が多い気がしたなぁ。まぁ素直な反応なんでしょうね。
そしたらツイートのひとつにこんな意見を発見したんですよ。これ↓です。

これを読んで、私の両目から涙が溢れたかと思うくらい感動してしまいました。
私、どこかで何かを勘違いしちゃったんだと思うんですけど、ダッフィー&フレンズって「ダッフィー(とシェリーメイ)の物語」だったんですよね。ダッフィーとフレンズのKAWAII群像劇じゃないの。忘れてた!

ここでちょっと話は脇にずれるんですけど、私この間初めて、クックオフで上演中の「シェリーメイ爆誕編」を見ました。これ↓ね。

私はディズニーの中でもダフフレに関してはまったくの専門外なので(グッズは時々買うが、興味自体はそれほど持ってない)、シェリーメイがダッフィーの「彼女欲しいなぁ・・・(しょんぼり)」という淡い思いひとつで、神(ミキミニ)によって創造されたキャラクターだとはつゆ知らず。。。
え、おまえそんなこと考えてたの??^^; シェリーメイの出自の薄さにもかなりの衝撃を受けました。

そんなこんなで改めて思ったんですけど、ジェラトーニもステラルーもクッキーも存在意義がはっきりしてるのに、ダフメイは存在が薄い。圧倒的にキャラクター設定が薄いんですよね。設定自体はないと言ってもいいくらい。
でもそれでいいんですよね。
ダッフィーとシェリーメイはつまり小さな子供たちにとっての自分自身であります。幼いとはいえ、もう基本的なジェンダー感自体は芽生えているので、男の子はダッフィーを、女の子はシェリーメイを、子供たちは無垢な彼らに自分自身を投影するでしょう。
その時に無駄に濃い設定はかえって邪魔になる。すなわち、ダフメイの存在意義とは「無垢であるということ」に他なりません。

そして、まっさらな状態のダフメイは世界中で才能溢れるお友達に会い、他者を通じて世界というものを知っていく。
はじめにジェラトーニと出会い、自分とは異なる存在と仲良くなるということを学ぶ。(ダッフィーとシェリーメイは光と陰、表裏一体の同じ存在であるから、ある意味ではジェラトーニが「初めての友達」で間違いがない)
次にステラルーと出会い自分の夢を追うということを、クッキーからは自分の手で物をなんでも作れることを、そしてこれからハワイで出会うであろう音楽家からは音楽の素晴らしさを知る。
無垢で純粋でなにもない存在が、人生における大切なことを知っていく物語、それがダフメイで語られるお話の主眼なんですね。うんうん。

いやーここで唐突に書くの飽きたので終わりにしますけど。
ダッフィーとシェリーメイを通じて、「なにも無い」ということの重要さ。「なにも無い」からこそ成長でき、「何者かになっていける」のだということに気づけたのは大きかったです。はい。
あ、途中から話の主題がクッキーから変わっちゃった。すみません。まぁいっか。