八日目の蝉

「八日目の蝉」という角田光代の小説がある。
何年も前に一度読んだとき、さらっと読み終わったあとなかなか良い話だな、と思った記憶があった。
それで、なんか暇だった昨日今日で古本屋で改めて買った上に読み直してみたの。

読み返していて新しく気づいたことがあった。
冒頭、希和子が赤ん坊の薫(恵理菜)を盗み出すシーン。
その部屋が火事になったことを希和子は後日知ることになるのだが、もしかしてあの火事は物語のなかで示唆されているように希和子が無意識のうちに引き起こしたものではなかったのかもしれない。
電気ストーブがカーテンに引火したのは恵津子の不注意で、もし希和子が薫を盗みにこなかったら、そのまま火事は進行していたのかも。
そしたら薫は希和子に出会えていなかったら、あっけなく焼死(もしくは一酸化炭素中毒)で死んでいたということになる。
前回読んだ時はこんなこと思いつきもしなかったのに、そう思い至ったら、急に読後感が深まった気がした。

人生の幸と不幸は表裏一体ではない。なにが人生の幸となるのか、不幸となるのか、それは誰にもわからない。
「良し」の裏側が「悪し」ではないし、「善」の裏側は必ずしも「悪」ではない。
薫が誘拐されたのは不幸なことだったけれど、それはもしかしたらなにかの救いであったのかも。
そう考えたら、あの火事は恵津子の不注意で、希和子の行動に関係なく発生するものだったと考えるのが、そもそもの物語のテーマに自然に添いそうだなと思った。

この自分のひらめきが嬉しくて、私は答え合わせをしたくなった。
いくつかワードを組み換えて検索を調べてみたけどそんなこと言ってる人はひとりも見つからなかった。
そもそもが結構前の小説だしなぁ。
今更話題にあげるひともいないっか。
誰かおんなじこと思ったひといないかな。
と思ったら、自分がこのひらめきを書き残すことを思いついたのでした。(誰か見つけてくれないかな・・・

なんか今日はそれだけ書きたかっただけ。
ディズニー関係なくてすみませんね。
またねん。